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「最近の若者」を分類し、その特徴を語る。そんな若者論は現代に始まったものではない。明治から大正にかけても、「煩悶青年」「成功青年」「無色青年」など、時代独自の言葉で若者像が語られていた。「若者は何を考えているのかわからない」という大人たちの悩みは、100年以上前から変わっていないのかもしれない。※本稿は、批評家のパンス『「いまどきの若者」の150年史』(ちくまプリマー新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「天保の老人」と
対比された「青年」
1887年、徳富蘇峰の設立した民友社によって『国民之友』が創刊されます。日本初の、商業化されたいわゆる「総合雑誌」です。明治維新が起こってしばらく経ったタイミングですが、ここで蘇峰は、まだ維新の改革は達成されておらず、「新日本」の建設を訴えます。そこで「青年」という概念が本格的に立ち上げられます。いわば、これからの改革を主導する存在としての「青年」です。
蘇峰は「青年」に対して、いまだに旧日本を守ろうとする勢力として「天保の老人」を挙げます。天保、1830~44年までに生まれた人たちは、1887年ごろからだと40~50代くらい。当時の日本だと指導者層にあたります。その世代と「対比する形で」、「青年」が示されているのが重要です。いまだとちょうど「昭和生まれ」と「若者」を比較するような感じにも見えますし、出身や階層ではなく「世代」で対比するのは新しいアプローチでした。
年長者を困惑させた
「煩悶青年」の自殺
明治36年(1903年)、旧制第一高等学校(編集部注/東京大学教養学部、千葉大学医学部、千葉大学薬学部の前身となった旧制高等学校)の生徒、藤村操が投身自殺したニュースが話題になります。特に生活に困窮していたわけでもない青年が突如として自死するという行為は、当時の年長者にとっては極めて困惑させられる出来事でした。この事件を受けて、「後追い自殺」も増加しています。







