東日本大震災から5年以上が経ったいまでも、原子力発電所については科学的根拠を欠いた議論が見られる。3.11の被害を拡大させた要因の1つが、当時の民主党政権が設置した「原子力規制委員会」だ。強い政治的意図を背景にした規制委は、原発や放射能の安全を高めるという本来の仕事をしていない。人気ジャーナリスト・櫻井よしこ氏の最新刊『凛たる国家へ 日本よ、決意せよ』の中から紹介していこう。
当時、専門家に情報すら与えなかった民主党
1995年に『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中公文庫)で第26回大宅壮一ノンフィクション賞、1998年には『日本の危機』(新潮文庫)などで第46回菊池寛賞を受賞。2007年「国家基本問題研究所」を設立し理事長に就任。2011年、日本再生へ向けた精力的な言論活動が高く評価され、第26回正論大賞受賞。2011年、民間憲法臨調代表に就任。
著書に『論戦』シリーズ(ダイヤモンド社)、『「民意」の嘘』(花田紀凱氏との共著、産経新聞出版)、『日本の未来』(新潮社)など多数。
「読売新聞」が「震災5年」と題して、東日本大震災の当事者たちの証言を連載していた。1回目は宮城県南三陸町町長の佐藤仁氏、2回目は福島県飯舘村村長の菅野典雄氏だった。小さな町や村の首長がどのような思いで震災に向き合い、住民を守ろうとしてきたかを読めば胸が締め付けられる。当事者として、未曾有の困難の中で、ともかくも現場に向き合い、危機の中で住民の命を守らなければならなかった彼らの思いは、どれほどのものだったかと思う。
そして連載3回目、班目春樹氏(元原子力安全委員会委員長)の証言を読んで、当時の民主党政権の愚策にあらためて憤りを覚えた。氏は3.11発生の夜、官邸に招集されたと書き出している。
氏の役割は当時首相だった菅直人氏への助言である。ところが東京電力や現地の保安検査官からの情報は、班目氏らには一切伝えられなかったというのだ。首相補佐官の細野豪志氏が福島第1原子力発電所の吉田昌郎所長と電話で連絡を取り合っていたことさえも、伝えられなかった。
「それを私は知りませんでした。後で知ってがくぜんとしました」と氏は証言する。
情報が極度に少なく、手元にある限られた情報さえも共有できなかった。それが菅政権の実態だった。氏は3月12日朝にヘリコプターで菅首相と福島第1原発を視察したときのことを次のように振り返っている。
「東電の武藤栄副社長の説明はとても参考になりました。(中略)次の対策を考えるため、原発で何が起こっているのかをもっと聞き出したかった。ところが、首相はその話を遮ってしまった。大事な機会を逸しました」「原子力を知らない政治家との対話には苦労しました」