日本人がランダム化実験を嫌うワケ

西内 アフリカでも成功しているランダム化比較実験ですが、いざ日本でやろうとすると感情的な抵抗も少なくありませんよね。実験でトクするグループ、ソンするグループが出てしまうのがイヤ、とか、そもそも「自分の人生をランダムに決められたくない」とかいう意見を聞いたこともありますが、その辺りについてはどのようにお考えですか?

中室 そこが一番ネックです。でも、いま一度「教育における不平等」というものをよく考えてみる必要があると思っています。たしかにランダム比較試験は、同じ世代の子どもらの中に、政策の対象となる子どもとならない子どもが存在しますので、この不平等を問題視する教育現場の声は十分に理解できるところです。しかし、世代内の子どもの平等を重視しすぎると、万が一にもその時の教育政策の舵取りが間違っていた場合の被害は世代全体に及んでしまいます。世代内では平等なのだからいいじゃないかという人もいるかもしれませんが、受験や就職では、その前後の世代と競争になることはよくあることですので、世代「内」では平等でも、世代「間」では不平等が生じます。「ゆとり世代」とか「ポストゆとり世代」などと言われているのがそのいい例でしょう。

西内 そうした「大きな犠牲」を生まないためにも、嫌われていようと何であろうと、日本でも「小さなランダム化比較実験」を試していきたいですよね。

中室 私は、世代内の平等に固執して、未来に繋がる政策評価ができない状態を続けるよりも、ランダム化比較試験を実施する際に、なるべく不平等を作らないことに知恵を絞るべきではないかと思っています。例えば、1年間のうち、前期の授業は各学年の1組を、後期では各学年の2組を対象にするというように、実験の対象者を「半期で入れ替える」というような方法を取るのです。そうすると、1年の間では不平等は起こらないのですから、教育上の機会の不平等という批判は避けられるでしょう。実際、「そういう方法なら」と研究の実施を受け入れてくれる学校も出てきています。

西内 ランダム化比較実験を試験的な教育プログラムとして、全国一斉ではなく1割程度の範囲でテストする、という方法もあります。小さな予算をつけ、応募してきた学校の中からランダムな一部に対して新しい教育プログラムを行い、事後に評価することができればこれも立派なランダム化比較実験です。それがうまくいったら、日本全体に広げていけばいい。

中室 そうですね。1年間を半期に区切って試す、小地域でやってみる、といった「小さく着手し大きく育てていく」のが、たしかに“日本流のランダム化比較実験”の妙手なのかもしれません。

(記事転載元/ダイヤモンド社書籍オンライン 2015年2月19日掲載「『統計学が最強の学問である[実践編]』発刊記念対談」第6回)

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