ベストセラー『統計学が最強の学問である』『統計学が最強の学問である[実践編]』『統計学が最強の学問である[ビジネス編]』の著者・西内啓氏が、識者をゲストに迎えて統計学をテーマに語り合うシリーズ対談企画。今回のゲストは、教育分野における「エビデンスベースト」の重要性を説き、注目を浴びる気鋭の経済学者・中室牧子氏です。(この対談は、2015年に行なわれたものです)

教育ではなぜか「断片な個人的体験」が重視される

西内 初めまして、なのですが、中室さんには『統計学が最強の学問である』についてさまざまなメディアで紹介していただき、ありがとうございます。中室さんは応用経済学の中でも教育経済学がご専門なんですね。

中室牧子(なかむろ・まきこ)1998年慶應義塾大学卒業。米ニューヨーク市のコロンビア大学で修士号と博士号を取得(MPA/MPhil/Ph.D.)。専門は、経済学の理論や手法を用いて教育を分析する「教育経済学」。日本銀行や世界銀行での実務経験があり、日本銀行では、調査統計局や金融市場局において実体経済や国際金融の調査・分析に携わった経験をもつほか、世界銀行では,欧州・中央アジア局において労働市場や教育についての経済分析を担当した。

中室 そうです。応用経済学の分析対象は広く、医療・教育・環境などを経済学的に分析することを目的にしていますが、私はその中でも特に「教育経済学」が専門です。西内さんとは直接お会いしたことはありませんでしたが、『統計学が最強の学問である』を読んで全身に電気がビビッと走って。つい、アチコチで紹介してしまいました(笑)。

西内 ありがとうございます。具体的に、どういうところに電気が走ったのでしょうか(笑)?

中室 そうですね……。たくさんあるのですが、印象的なのは「病気になったときに、長生きしているだけの老人に長寿の秘訣を聞きに行く人はいないのに、子どもの成績に悩む親は、子どもを全員東大に進学させた老婆の体験記を競って買う」という部分ですね。

西内 ああ、そこは私も思い入れを持って書いた部分です。

中室 子どもが東大に合格するのは、親の育て方にのみ依存するわけではありません。本人の努力はもとより、どんな友達がいたか、どんな塾に行ったか、どんな本を読んでいたか、ふだんの生活習慣はどうか……と、さまざまな要因に影響されているはずです。それなのに、この手の断片的な個人の経験を売り物にした本では、あたかもお母さん1人の力で子どもを東大に入れたかのような誤解が生じます。私は、現在の「日本の教育政策」にあるほとんどすべての問題点が、この1つのパラグラフで言い尽くされている。そう感じたのです。

西内 なるほど。

中室 もちろん、「子育てに成功したお母さんの話を聞きたい」という欲求自体に問題があるわけではありません。問題は、そういった断片的な個人の体験は、決して一般化できるものではない、ということがあまりにも理解されていないように思えるのです。実際、教育政策に関する有識者会議の議事録をみても、「私の経験では……」と発言する人が後を絶ちません。

西内 「あなた1人の体験なんて、知らんがな」ってことですね(笑)。

中室 ええ。識者とはいえ、その人たちの個人的な教育体験がどこまで一般化できるか?それを明らかにしようと思うと、代表制のあるデータに基づく検証が必要です。ところが、それをせずに、「こうすればうまくいくはずだ」という個人の体験に基づく根拠のない期待が、政策決定に影響を与えているとすれば、これは非常に危険なことだと思います。

西内 個人的な経験と国家的な政策とは、次元の違う話ですからね。

中室 そうなんですよ。そうした視点でも西内さんのご批判は的を射た指摘だと感銘を受け、世の中に発信していたところ、今回の対談につながった、というわけです。

西内 ありがとうございます。35万部のうち、1万部くらいは中室先生のおかげかもしれませんね(笑)。