天国の父を想う

 2012年3月28日、実の父親が亡くなってちょうど2年になる。

 当時私は、上海の復旦大学に身を置いていた。上海の空を眺めながら、「今ごろお父さんは天国で何を考え、何をやっているんだろうなあ?また酔っぱらって人に迷惑をかけているのかなあ」なんて思いにふけっていた。

 ふと、父とよく交わした会話が脳裏をよぎった。

 長距離選手だった私は子供のころ、父の指導の下よく走っていた。一歳下の弟と共に、ぶっ倒れるまで走らされたのを昨日のことのように覚えている。走ることにおいて、弟は私よりも才能に富んでいた。私が情けなくも弟に離されると、父がメガホンを持ってこう叫ぶのだった。

「おい、嘉一!何遅れてるんだ!兄貴として恥ずかしくないのか!腕をふれ!前を見ろ!胸を張れ!」

 喝を入れられて、気合が入ったものだが、心の中では「まったく指導するだけなら楽だよな。だったらお父さんが走ってみろよ」とつぶやいていた。

父の口癖

 正月は家族団らんでニューイヤー駅伝と箱根駅伝をテレビの前で観戦するのが常だった。「つなぐ」ことを大義名分とする駅伝は日本が世界に誇れる文化だと思う。応援しているチームの選手が垂れて遅れると、私は反射的に声を放つ。

「おい、なに遅れてるんだよ。しっかりしろよ!」

 すると、横から父の鉄拳が飛んでくる。

「だったら、お前が走れ!!お前はあいつより速いのか?自分が速く走れるようになってから言え、バカ。」

 隣で比較的クールな弟が、同じように「おい、なに遅れてるんだよ!」とつぶやくと、今度は私が「だったら、お前が走れ!」と父の口癖を真似たものだ。

 父と国会中継を見る。国会議員が無味乾燥な発言をしているのを聞いて、「おい、なに意味のない発言してるんだよ!」と愚痴ると、「だったら、お前が発言してこい!」と、これまたボディーブローが飛んできた。その後、私もよく同じ文句で父親の無責任な論評を批判したものだ。