人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。
16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。
「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。
これからご紹介するエピソードは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。
医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか。(こちらは2018年12月29日付け記事を再掲載したものです)

お母さんPhoto: Adobe Stock

最期に思い出すのは
いちばん愛してくれた人

1000人の看取りに接した看護師が伝える、<br />人が最期の時に心の底から求めるものとは何か後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師。BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター。看取りコミュニケーター。
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。<写真:松島和彦>

 安らかな最期をくれるのは、「愛」です。

 無上に愛された記憶と愛した記憶。それは「人の最期」に、癒しと救いと安心を与えてくれます。

 愛は、医療では決して埋められない孤独や死への恐怖をやわらげ、幸せな境地へと導いてくれるのです。

 97歳のタカコさん(仮名)は、老衰がかなり進行していましたが、何かあると「お母さん、お母さん」と、目の前にお母さんがいるかのように、はっきり言葉にして呼びかけていました。

 タカコさんにはきっと、お母さんに無上に愛された記憶があったのでしょう。

 あるとき、「お母さん」と口にしたタカコさんに、同室の80代の患者さんが言いました。

「あのね、あんたのお母さんなんて、そりゃ、30年ぐらい前に、とっくに亡くなっとるわ!」

 それでもタカコさんは臆せず、何かと言っては「お母さん、お母さん」と言い続けていました。

 それだけ母の愛が深かったということでしょう。

 いちばん愛してくれた人……。

 それが「お母さん」という人は少なくありません。

 死が近づき、衰弱し始めた患者さんで、「お母さん、お母さん」とベッドの中で母親を呼んだ人を私は何人も知っています。

 末期の大腸がんで入院していた40代のムラカミさん(男性・仮名)をいちばん愛してくれた人も、「お母さん」でした。