人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。
16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。
「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。

今回は、『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さん、『看取りの技術 平方流 上手な最期の迎えさせ方』の著者で緩和ケア医の平方眞(ひらかたまこと)先生による対談を収録しました。テーマは、「看取りの現場で医師と看護師が実践している上手な最期の迎えさせ方」。今回はその中でも特に「人生会議」の意義についてです。
看護師、医師という2つの視点から、患者さん、あるいは家族に命の終わりとどう向き合ってほしいかを語ってもらいます。

価値観の共有・認識のズレを解消

看取りの現場の医師と看護師が考える、<br />「人生会議」が必要な訳後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師。BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター。看取りコミュニケーター
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。

後閑愛実さん(以下、後閑)厚労省が「人生会議」と愛称をつけたACP(アドバンス・ケア・プランニング)というものがありますが、これはもっと最期までの人生について話し合いましょうという話です。
 価値観の共有を行ったり、認識のズレを解消するためにもっと広まってほしいと思っています。
 そして、ACPを行うのに適したタイミングは、死が現実として見えてきた時ではないかという話もあります。
 この「人生会議」を、平方先生は具体的にどのようにされていますか?
 まあ、これがACPですとか、これからACPをします、と言ってやられているわけではないとは思いますけれど。

平方眞先生(以下、平方)振り返ってみると、ACPだらけなんですよ。
 患者さんと親しくなる前に、そういう状態になったらどうしますか? という不躾な話をするのは、土足でその人の人生観に踏み込んでいくことになります。ですから、まずは親しくなる時間が必要です。
 仲良くなる時期と、どういう準備をする必要があるということをわかってもらう時期があります。
 もしも本当に時間がなかったら、初日の面談の中で、たとえばこういうような状態になったら家で過ごしたいですか病院で過ごしたいですか、などといった具体的な話もしていきます。しかし、たいていは親しくなって3回目くらいでしょうか。
 そういうような話ができるタイミングを見つけて、私はまず、その人の人生がどんなものだったかを聞きます。
 これは結構時間がかかることなのですが、どういう人生を生きてきたかという話を聞くと、こういうような状態になった時はどうしたいかという話をすごく聴きやすくなるものです。
 そういう段階がなくて、いきなり具合が悪くなった時にどうしますかというのは、すごく聞きにくい。
 命が続く時間的余裕や、忙しさの時間の余裕がある時に、段階を踏んで親しくなる、今困ってることを聞く、どんな人生を生きてきたかを聞く、できれば人生の中で楽しかったことを聞く、そしてその後に、これからどういうようなことが心配されるかとか、どういうことを心配しているとか、意見交換をして、じゃあこんなふうになった時にはどうしましょうかという話をします。
 うちの病院だと、在宅でも外来でも、病院でもみられるし、全部そろっています。ですから、意見は聞いておくけれど、その時の状況に応じて言っていたことと違う状況になった時はその時にまた考えましょう、という話をしておきます。
 たとえば一例をあげますと、家で一人暮らしをしていて、毎週訪問診療にうかがっていたある人の場合、できれば最期までこの家で過ごしたいと言っていました。
 そして、その人がだんだん動けなくなってくると、近くに住んでいた親戚の人たちが入れ替わり立ち代わりして世話をしてくれたのです。「こんなに人に世話をかけてしまうのなら病院に入院しようか」とその人は言ったのですが、「入院するかどうか自分では決められない。先生が決めて」と言うんです。