「焼酎・ウイスキー
税制格差問題」の経験

 私は旧大蔵省時代に、「焼酎・ウイスキー税制格差問題」で、WTO(世界貿易機関)および日米交渉の担当課長を経験したことがある。その経験から、貿易交渉は、ローヤー(法律家)の交渉でもあるということ、日本が万全な体制を敷くためには、ローヤーの活用がカギを握っているということを述べてみたい。

 まず、自らマルチ(多国間)・バイ(二国間)の交渉当事者となった経緯について。

 95年当時のわが国酒税では、焼酎とウイスキーの間に6倍の税率格差があった。これが、ガット協定第3条の、「同種・直接競合・代替可能産品」の場合には、国内生産に保護的な課税をしてはならない、という規定に反しているとして、二国間協議を経てWTOに訴えられたのである。

 1995年7月、日本第1号のパネル案件として、焼酎とウイスキーの税率格差問題を取り扱うパネルが設置され、議論が始まった。

 2年間にわたるパネルでの議論の結果、ウイスキーと焼酎は「直接競合・代替可能産品」であるとしてわが国は敗訴、それを受けて上告、さらには仲裁へと進んだ。しかしわが国の主張は通らず、6倍の税率格差をデ・ミニミス(最小限)なものとすることが求められた。最終的には、日米、日EU、日加の二国間協議で代替措置などを詰めて、98年度の税制改正の中で決着したのである。

 WTOパネルや、米国USTR(通商代表部)との議論や交渉は、基本的に法律議論であった。