鳩山政権がスタートし、補正予算約2兆5000億円分の執行停止、八ツ場ダムなど止まらない公共事業の停止、来年度予算の概算要求の白紙見直しなど、「脱官僚支配」の具体策を次々と打ち出している。また、亀井郵政金融相などの言動も、よくも悪くも注目を集めている。
一方、自民党は谷垣禎一新総裁が誕生したが、「鳩山劇場」政権の陰に埋没しているようだ。しかし、今後「政権交代のある民主主義」が成熟していくには自民党の再生が不可欠だ。そこで今回は、今後自民党が進むべき方向は何か論じてみたい。
安倍晋三元首相など自民党議員の間から、自民党は「結党の精神」に戻るべきだという意見が聞こえてくる。そもそも自民党とは、1955年の社会党統一に対抗して自由党、民主党など保守政党が合併したものである(「保守合同」)。つまり自民党の「結党の精神」とは、東西冷戦が激化した時代に、共産主義に政権を渡さないということを決意するものだった。その自民党が今、「結党の精神」を強調する意味は、新たな政権政党となった民主党を、東西冷戦期の「革新政党」のような、政権を渡すには危険な政党だとみなして戦おうということだ。実際、故・中川昭一氏のHPには、民主党政権の誕生で「日本が危ない」という意味のことが掲載されていた。
しかし、「結党の精神」への回帰は、「政権交代ある民主主義」実現という時代の潮流に対する認識を完全に誤っている。確かに鳩山政権が、外交・安全保障政策などで安定感に欠けている面はあるだろう。しかし日本は危なくない。国民が「失政を犯した政権を選挙で交代させる」ことを知ったからだ。
鳩山政権が安定感を欠いたまま国際社会で信頼を失い国民生活を不安に陥れたなら、次の総選挙で国民によって政権の座から引きずり降ろされるだろう。かつてのように自民党がどんなに失政や汚職を繰り返しても下野させることができない「危ない時代」は去ったのだ。
「お仕置き」は民主主義の真髄
自民党は総選挙の結果について、「自民党に対するお仕置き」「民主党が支持されたわけではない」「自民党の政策は支持されている」などと考えている。一時的なものと軽視しているし、民主党が失敗すればすぐに政権の座に戻れると思っている。しかし、その認識は甘く、民主主義に対する理解が欠けている。
「政権に対する国民のお仕置き」は軽視すべきではない。「失政を犯せば政権の座から降ろされる」と、政治が国民に対して緊張感を持つことは、政治の質を向上させる民主主義の真髄だからだ。世界的にみても、政権交代は国民による政策の詳細な検証の結果というより、国民の政権に対する「お仕置き」として起こることが多く、それは民主政治の健全性を保たせるのに有効に機能しているのだ。