河谷禎昌

(かわたに・さだまさ)

1935年神戸市生まれ。北海道大学法学部卒業。57年に北海道拓殖銀行入行。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家。 94年6月から97年11月の経営破綻まで頭取を務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定。2009年12月から1年7ヵ月服役した。著書『最後の頭取 北海道拓殖銀行破綻20年後の真実』(ダイヤモンド社)。

第12回
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】私が考える5人の“拓銀破綻のA級戦犯”とは?(パート2)
河谷禎昌
1997年、都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻したことをご記憶の方も多いだろう。 1900年に北海道開拓を目的とする国策銀行としてスタートし、55年には都市銀行に転換した大手銀行の破綻劇は、当時、大きな波紋を呼び、金融市場をパニックに陥れた。 拓銀は道内を地盤に、全盛期は首都圏や関西、ニューヨーク、ロンドン、香港などにも支店を置き、拡大路線を進んだ。 地元では「たくぎん」、道外では「ほくたく」の愛称で呼ばれ、イメージキャラクター「みんなのたあ坊」とともに親しまれた。 ところが、バブル期の過剰な貸し付けが不良債権化し、90年代半ばに経営危機に。 すると、「大手銀行は1行たりとも潰さない」という大蔵省の公約は反故にされ、97年11月17日、都銀初の経営破綻に陥った。 そして、金融市場がパニックに陥ったのだ。 拓銀は北洋銀行に営業譲渡され、98年の歴史に幕を閉じた。 拓銀の『最後の頭取』となった河谷禎昌は、先ごろ話題となった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。 大手銀行の経営トップで収監された例は他にはないのだが、この後日談を知るものは、金融関係者にも少ない。 バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。 後世に伝えるバブルの教訓を『最後の頭取』が、すべて明かす。
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】私が考える5人の“拓銀破綻のA級戦犯”とは?(パート2)
第11回
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】私が考える5人の“拓銀破綻のA級戦犯”とは?(パート1)
河谷禎昌
1997年、都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻したことをご記憶の方も多いだろう。 1900年に北海道開拓を目的とする国策銀行としてスタートし、55年には都市銀行に転換した大手銀行の破綻劇は、当時、大きな波紋を呼び、金融市場をパニックに陥れた。 拓銀は道内を地盤に、全盛期は首都圏や関西、ニューヨーク、ロンドン、香港などにも支店を置き、拡大路線を進んだ。 地元では「たくぎん」、道外では「ほくたく」の愛称で呼ばれ、イメージキャラクター「みんなのたあ坊」とともに親しまれた。 ところが、バブル期の過剰な貸し付けが不良債権化し、90年代半ばに経営危機に。 すると、「大手銀行は1行たりとも潰さない」という大蔵省の公約は反故にされ、97年11月17日、都銀初の経営破綻に陥った。 そして、金融市場がパニックに陥ったのだ。 拓銀は北洋銀行に営業譲渡され、98年の歴史に幕を閉じた。 拓銀の『最後の頭取』となった河谷禎昌は、先ごろ話題となった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。 大手銀行の経営トップで収監された例は他にはないのだが、この後日談を知るものは、金融関係者にも少ない。 バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。 後世に伝えるバブルの教訓を『最後の頭取』が、すべて明かす。
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】私が考える5人の“拓銀破綻のA級戦犯”とは?(パート1)
第10回
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】赤字続きの地方銀行メガバンクも大規模リストラこれから銀行はどうなる?
河谷禎昌
1997年、都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻したことをご記憶の方も多いだろう。 1900年に北海道開拓を目的とする国策銀行としてスタートし、55年には都市銀行に転換した大手銀行の破綻劇は、当時、大きな波紋を呼び、金融市場をパニックに陥れた。 拓銀は道内を地盤に、全盛期は首都圏や関西、ニューヨーク、ロンドン、香港などにも支店を置き、拡大路線を進んだ。 地元では「たくぎん」、道外では「ほくたく」の愛称で呼ばれ、イメージキャラクター「みんなのたあ坊」とともに親しまれた。 ところが、バブル期の過剰な貸し付けが不良債権化し、90年代半ばに経営危機に。 バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。 後世に伝えるバブルの教訓を『最後の頭取』が、すべて明かす。
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】赤字続きの地方銀行メガバンクも大規模リストラこれから銀行はどうなる?
第9回
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】無罪を主張するも最高裁で有罪確定銀行トップ唯一の刑務所暮らし
河谷禎昌
1997年、都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻したことをご記憶の方も多いだろう。 1900年に北海道開拓を目的とする国策銀行としてスタートし、55年には都市銀行に転換した大手銀行の破綻劇は、当時、大きな波紋を呼び、金融市場をパニックに陥れた。 拓銀は道内を地盤に、全盛期は首都圏や関西、ニューヨーク、ロンドン、香港などにも支店を置き、拡大路線を進んだ。 地元では「たくぎん」、道外では「ほくたく」の愛称で呼ばれ、イメージキャラクター「みんなのたあ坊」とともに親しまれた。 ところが、バブル期の過剰な貸し付けが不良債権化し、90年代半ばに経営危機に。 すると、「大手銀行は1行たりとも潰さない」という大蔵省の公約が反故にされ、97年11月17日、都銀初の経営破綻に陥った。 そして、金融市場がパニックに陥ったのだ。 拓銀は北洋銀行に営業譲渡され、98年の歴史に幕を閉じた。 そんな拓銀の『最後の頭取』となった河谷禎昌は、先ごろ話題となった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。 大手銀行の経営トップで収監された例は他にはないのだが、この後日談を知るものは、金融関係者にも少ない。 バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。 後世に伝えるバブルの教訓を『最後の頭取』が、すべて明かす。
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】無罪を主張するも最高裁で有罪確定銀行トップ唯一の刑務所暮らし
第8回
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】標的となった拓銀と私大手銀行トップとして前例のない1年7ヵ月の刑務所服役金融関係者も知らない事実
河谷禎昌
1997年、都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻したことをご記憶の方も多いだろう。 1900年に北海道開拓を目的とする国策銀行としてスタートし、55年には都市銀行に転換した巨大銀行の破綻劇は、当時、大きな波紋を呼び、金融市場をパニックに陥れた。 拓銀は道内を地盤に、全盛期は首都圏や関西、ニューヨーク、ロンドン、香港などにも支店を置き、拡大路線を進んだ。 地元では「たくぎん」、道外では「ほくたく」の愛称で呼ばれ、イメージキャラクター「みんなのたあ坊」とともに親しまれた。 ところが、バブル期の過剰な貸し付けが不良債権化し、90年代半ばに経営危機に陥った。 すると、「大手銀行は1行たりとも潰さない」という大蔵省の公約が反故にされ、97年11月17日、都銀初の経営破綻に陥った。 そして、金融市場がパニックに陥ったのだった。 拓銀は北洋銀行に営業譲渡され、98年の歴史に幕を閉じた。 拓銀の『最後の頭取』となった河谷禎昌は、先ごろ話題となった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。 大手銀行の経営トップで収監された例は他にはないのだが、この後日談を知るものは、金融関係者の中にも少ない。 バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。 後世に伝えるバブルの教訓を『最後の頭取』が、すべて明かす。
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】標的となった拓銀と私大手銀行トップとして前例のない1年7ヵ月の刑務所服役金融関係者も知らない事実
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