アントニオ猪木

元プロレスラー・参議院議員

1943年横浜生まれ。本名・猪木寛至。57年、家族とともにブラジルへ移住。60年に力道山にスカウトされて帰国し、日本プロレスに入団。同年9月、大木金太郎戦でデビュー。71年に日本プロレスを追放され、翌年、新日本プロレスを旗揚げする。ボクシングへビー級王者モハメド・アリとの「格闘技世界一決定戦」を行うなど、常に戦いの新たな地平を示し続け、プロレスの黄金時代を築く。89年には参議院選挙に出馬し、プロレスラー初の国会議員になる。98年に現役引退。2013年からは2期目の参議院議員を務め、19年に政界引退。おもな著書に『アントニオ猪木 闘魂語録大
全』(宝島社)、『猪木力 不滅の闘魂』(河出書房新社)など多数。

アントニオ猪木の知られざる一面、ソ連の高官に見せた「驚きの交渉術」
アントニオ猪木
10月1日に亡くなられたアントニオ猪木さん。「元気があれば何でもできる!」「1、2、3、ダァー!!」の言葉で日本中が元気をもらっていました。そんな“強く、明るく、前向き”なイメージのアントニオ猪木さんが、プロレス団体の経営者として、国会議員として、常人には及びもつかないタフネゴシエーターぶりを発揮していたことはあまり知られていません。そこで今回は、アントニオ猪木さんの著書『最後に勝つ負け方を知っておけ。』(青春出版社)から、アントニオ猪木流・不利な状況を跳ね返し、多くの人を味方につける闘魂流・交渉の極意をご紹介します。
アントニオ猪木の知られざる一面、ソ連の高官に見せた「驚きの交渉術」
アントニオ猪木が今だからこそ打ち明ける、伝説の「アリ戦」の舞台ウラ
アントニオ猪木
プロレス黄金期に一時代を築き、多くの観客を沸かせ、“プロレスこそ最強の格闘技”の象徴的存在だったアントニオ猪木。だが、じつはその内側には誰より多くの葛藤があり、常人には及びもつかない痛みに満ちていました。にもかかわらず、なぜアントニオ猪木は常に強く、明るく、前向きだったのでしょうか。そこで今回は猪木さんの著書『最後に勝つ負け方を知っておけ』(青春出版社)から、アントニオ猪木流・先の見えない時代を生き抜く流儀について抜粋紹介します。
アントニオ猪木が今だからこそ打ち明ける、伝説の「アリ戦」の舞台ウラ
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