プロレス黄金期に一時代を築き、多くの観客を沸かせ、“プロレスこそ最強の格闘技”の象徴的存在だったアントニオ猪木。だが、じつはその内側には誰より多くの葛藤があり、常人には及びもつかない痛みに満ちていました。にもかかわらず、なぜアントニオ猪木は常に強く、明るく、前向きだったのでしょうか。そこで今回は猪木さんの著書『最後に勝つ負け方を知っておけ』(青春出版社)から、アントニオ猪木流・先の見えない時代を生き抜く流儀について抜粋紹介します。
対戦日が近づくにつれ、本当は怖くてたまらなかった
1976年は、俺の人生の中での大きなターニングポイントとなった年だ。
その年、俺は、当時のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリとの異種格闘技戦を行った。
ルール問題が難航し、結局、
・スタンディング・ポジションでの蹴りの禁止
・頭突き、タックルの禁止
・ヘッドロック、バックドロップの禁止
……など、俺にとってはかなり不利な制約の中での試合だった。だが、その制約の中で最善を尽くして戦ったつもりだった。