宮内義彦

オリックス シニア・チェアマン(元取締役、前代表執行役会長兼グループCEO、元社長)

みやうち・よしひこ/1935年神戸市生まれ。58年関西学院大学商学部卒業。60年ワシントン大学経営学部大学院でMBA取得後、日綿実業(現双日)入社。64年オリエント・リース(現オリックス)入社。 70年取締役、80年代表取締役社長・グループCEO、2000年代表取締役会長・グループ CEO、03年取締役兼代表執行役会長・グループCEOを経て、14年シニア・チェアマン就任、現在に至る。総合規制改革会議議長など数々の要職を歴任。新日本フィルハーモニー交響楽団理事長などを兼務。『“明日”を追う 【私の履歴書】』『リースの知識』(日本経済新聞出版)、『私の経営論』『私の中小企業論』『私のリーダー論』(日経BP)、『経営論』(東洋経済新報社)、『世界は動く』(PHP研究所)、『グッドリスクをとりなさい!』『2050年 「人新世」の未来論争』(プレジデント社)など多数の著書がある。

「今年は神戸で試合をやり続ける」オリックス宮内義彦が震災後に厳命した理由
宮内義彦
阪神・淡路大震災により、当時オリックスが本拠としていた神戸は壊滅的な被害を受けた。球団関係者は当然のごとく代替地での試合開催を検討していたが、宮内義彦オーナーは、「神戸で試合をやり続ける」と厳命を下したという。その年、球団はパ・リーグ制覇を果たす。本稿は、宮内善彦『諦めないオーナー プロ野球改革挑戦記』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。
「今年は神戸で試合をやり続ける」オリックス宮内義彦が震災後に厳命した理由
このバッター、何かが違う…「高校生のイチロー」を見出したスカウトが熱弁したこと
宮内義彦
3年連続でパ・リーグを制し、黄金期を迎えたオリックス・バファローズ。1988年の球団買収以来、34年にわたってオーナーを務めた筆者にとっては、感慨もひとしおだ。球団の草創期を支え、のちに日米球界の至宝とたたえられたイチローと筆者の出会いを振り返る。本稿は、宮内善彦『諦めないオーナー プロ野球改革挑戦記』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。
このバッター、何かが違う…「高校生のイチロー」を見出したスカウトが熱弁したこと
新着
業界
学び
特集
書籍
業界
製造業 銀行・証券・金融 保険 建設・不動産 コンサル・士業 商社 運輸・物流 IT・通信 AI・テクノロジー エネルギー 医療・製薬 食品・農業 小売・外食 サービス・エンタメ メディア・広告 スタートアップ・新規事業 教育 財閥・学閥 予測・分析
学び
経営・戦略 マネジメント ビジネス課題 ビジネススキル 営業・マーケティング マネー・投資 相続・節税 年金 キャリア・働き方 受験・子育て 教養