志賀俊之
1999年10月、日産自動車は歴史的な分岐点に立っていた。カルロス・ゴーンが打ち出した「日産リバイバルプラン(NRP)」は、国内5工場の閉鎖、2万1000人の人員削減、調達コスト20%削減という大胆な内容だった。年功序列やケイレツといった“聖域”に真正面から切り込む、日本の大企業としては前例のない外科手術である。世に「ゴーンショック」と呼ばれたその決断は、組織を再生へと駆り立てる原動力となった一方で、失われたものも少なくない。四半世紀を経たいま、NRPの功罪を改めて問い直す。

現在日産自動車が進める再建策「Re:Nissan」に、かつてカルロス・ゴーンが主導した「日産リバイバルプラン(NRP)」の影を見る者は多い。日産の自力再建を阻んだ「二つの元凶」に焦点を当て、当時の教訓がなぜ現代に生かされなかったのかを考察してみたい。日産が「真の復活」を遂げるために不可欠な、「最後の1ピース」とは何なのか。

「日産自動車が危ない」。その一言から、全てが動きだした。バブル期の過剰投資で巨額の負債を抱え、資金繰りは限界に追い込まれていた。外資との提携をまとめられなければ、1999年3月末をもって日産は消滅する。残された時間は、わずか20日。ダイムラーの撤退、ルノーとの綱渡り交渉、徹夜続きの決断――。そして迎えたルノーとの調印式。その瞬間、両社の力関係には静かに、しかし決定的に変わった。交渉の最前線に立った当事者だけが語れる、極秘交渉の舞台裏を明かす。

かつてカルロス・ゴーン氏の右腕として日産自動車復活を率いた、元日産COO・志賀俊之氏が初めて沈黙を破る。自動車業界一筋50年の当事者が、自らの半生と日本の自動車産業の光と影を重ね合わせ、「ゴーン経営」の功罪と日産再転落の真因に迫る大型連載が始動する。「経営危機を招いた“共犯者”としての非難は覚悟の上。それでも、過去の学びを未来につなげたい」。「100年に1度」の大転換期に直面する日本の自動車産業への強烈な危機感を背景に、【過去編】で史実と教訓を掘り下げ、【ミライ編】で向こう50年のモビリティ産業を展望する。半世紀を産業の中枢で生きた当事者が、全知見と覚悟を懸けてつづる渾身の“遺言”である。
