「日産リバイバルプラン(NRP)」を発表するカルロス・ゴーン氏。過去を否定する“聖域なき改革”はゴーンショックと称された Photo:AFP=JIJI
1999年10月、日産自動車は歴史的な分岐点に立っていた。カルロス・ゴーンが打ち出した「日産リバイバルプラン(NRP)」は、国内5工場の閉鎖、2万1000人の人員削減、調達コスト20%削減という大胆な内容だった。年功序列やケイレツといった“聖域”に真正面から切り込む、日本の大企業としては前例のない外科手術である。世に「ゴーンショック」と呼ばれたその決断は、組織を再生へと駆り立てる原動力となった一方で、失われたものも少なくない。連載『志賀見聞録 自動車産業の半世紀とミライ』の第4回【過去編4】では、四半世紀を経たいま、NRPの功罪を改めて問い直す。(日産自動車元COO〈最高執行責任者〉 志賀俊之)
>>第1回【過去編1】「ゴーンさんが羽田空港で逮捕されたらしいです(2018年11月19日)」から読む
>>第2回【過去編2】「ルノーの軍門に降った日(1999年3月27日)」から読む
年功序列やケイレツを否定
日本のレガシー企業初の抜本改革
1999年10月18日、東京都内のホテルで、日産自動車の再建計画「日産リバイバルプラン(NRP)」が発表された。
登壇したカルロス・ゴーンは、村山工場を含む国内5工場の閉鎖、2万1000人の人員削減、3年間で20%の調達コスト削減など、それまでの日産が踏み込めなかった再建策を約1時間にわたって淡々と示していった。
そして最後に、たどたどしさをにじませながらも、揺るぎない決意を込めた日本語でこう結んだ。
「日産リバイバルプランを成功させるためには、どれだけ多くの痛みや犠牲が必要となるのか、私にも分かっています。でも、信じてください。ほかに選択肢はありません。そして、この計画は挑戦するには十分な価値があるのです」
そのスピーチを職場で聞いていた私は、思わず武者震いした。年功序列やケイレツの維持が深く根付く日本の大企業で、ここまで踏み込んだ構造改革に着手しようとする――。それは前例のない出来事だった。この壮絶な聖域なき改革は世に「ゴーンショック」と称されるようになる。
そして、ゴーンの言葉に胸を打たれたのは私一人にとどまらなかった。「本気で変わるしかない」――その思いが社内の一人一人の胸に宿り、それはやがて復活へ向けた大きなうねりとなって、日産という巨大組織を内側から突き動かしていった。
しかしながら、そのうねりは再生という大きな成果をもたらした一方で、日本企業として“大切にしてきた何か”を失うことにもつながった。当時は、過去を否定することこそが「再生への唯一の道」と信じ、何のためらいもなくさまざまな改革に取り組んだ。
それはまさに伝統的な日本企業がグローバル企業へと変身する契機でもあった。それでも、四半世紀を経たいま、再び日産が経営危機に陥っている現実を思うと、ここでNRPを総括する必要があるのではないか――。そう考えるに至った。







