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加藤登紀子

歌手

1965年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。1969年「ひとり寝の子守唄」、1971年「知床旅情」ではミリオンセラーとなりレコード大賞歌唱賞受賞。以後、80枚以上のアルバムと多くのヒット曲を世に送り出す。国内コンサートのみならず、1988年、90年N.Y.カーネギーホール公演をはじめ、世界各地でコンサートを行い1992年、芸術文化活動における功績に対してフランス政府からシュバリエ勲章を授けられた。年末恒例の日本酒を飲みながら歌う「ほろ酔いコンサート」は50年以上も続く。近年は、FUJI ROCK FESTIVALに毎年出演し、世代やジャンルの垣根を超え観客を魅了し続けている。歌手活動以外では女優として映画『居酒屋兆治』(1983年)に高倉健の女房役として出演。宮崎駿監督のスタジオジブリ・アニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としてマダム・ジーナ役を演じた。獄中結婚した学生運動の闘士・藤本敏夫(2002年死去)との間に3人の子がおり、孫は7人。次女Yaeは歌手。

「思い出すんですか?」「えっ?」高倉健と腕を組んだ撮影中…妻役・加藤登紀子が面食らったひと言
加藤登紀子
ある日突然、高倉健の妻役として映画「居酒屋兆治」に出演しないかとオファーを受けた歌手・加藤登紀子。尻込みし、思わず断った彼女を口説き落とした言葉とは?歌手生活60年で加藤登紀子が経験した「まさか」な出来事を回顧する。※本稿は、歌手の加藤登紀子『「まさか」の学校』(時事通信社)の一部を抜粋・編集したものです。
「思い出すんですか?」「えっ?」高倉健と腕を組んだ撮影中…妻役・加藤登紀子が面食らったひと言
「ただならぬ気配」加藤登紀子が一瞬で釘付け…中島みゆきと中森明菜を「魔女」と呼ぶワケ
加藤登紀子
「知床旅情」など多くのヒット曲を誇る加藤登紀子。彼女によれば、60年の歌手生活において、強く惹かれ電撃的な出会いと交流をもった女性トップシンガーが2人いるのだという。自らの人生に大きなギフトを与えてくれた“魔女”2人とのエピソードを語る。※本稿は、歌手の加藤登紀子『「まさか」の学校』(時事通信社)の一部を抜粋・編集したものです。
「ただならぬ気配」加藤登紀子が一瞬で釘付け…中島みゆきと中森明菜を「魔女」と呼ぶワケ
「“飢える”ことを経験したい」何日も食べずに現れた河島英五が開口一番に放った、加藤登紀子が驚いた一言
加藤登紀子
「酒と泪と男と女」をはじめとして数多くの名曲を生み出したシンガー・ソングライター、河島英五。加藤登紀子が彼と初めて出会ったのは、ライブの客席から突然ステージに上がってきたその瞬間だった。飢えを自ら体験し、砂漠を旅し、病に身体を蝕まれても歌い続けた好漢との忘れ得ぬ日々を回顧する。※本稿は、歌手の加藤登紀子『「まさか」の学校』(時事通信社)の一部を抜粋・編集したものです。
「“飢える”ことを経験したい」何日も食べずに現れた河島英五が開口一番に放った、加藤登紀子が驚いた一言
「そりゃ偶然すぎる…」加藤登紀子と亡き夫を結んだ、ゴスペラーズ・村上てつやの曲と“消えたギター”
加藤登紀子
歌手生活60年になる加藤登紀子が、これまでの人生で経験した「まさか」のエピソードをつづる。ゴスペラーズのリーダー・村上てつやに作ってもらった曲「花筐」にまつわる「ま・さ・か」と、そこから連なる「愛用のギター」が生んだ奇跡とは?※本稿は、歌手の加藤登紀子『「まさか」の学校』(時事通信社)の一部を抜粋・編集したものです。
「そりゃ偶然すぎる…」加藤登紀子と亡き夫を結んだ、ゴスペラーズ・村上てつやの曲と“消えたギター”
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