これは、オーストラリアのジャーナリストでコメディアン、重病患者でもあったステラ・ヤング氏(2014年12月に死去)の言葉だが、念のために伝えておくと、ヤング氏のこの言葉は、2014年のTEDトークでのスピーチに出てくる。もっとも当然だが、ヤング氏は「感動ポルノ」なる日本語は使っていない。英語で「Insiration Pron」という言い方をしている。「Insiration Porn」を「感動ものポルノ」「感動ポルノ」と訳すのは“名訳”なのか“迷訳”なのか判断が難しいところだが、当記事においては、「感動という感情を刺激するための消費財」という意味では「Insiration Pron」も「感動ポルノ」も同義であるとしておく(なので、当記事では、「感動ポルノ」という言葉をそのまま使う)。

健常者の感動のために消費される?

 ヤング氏が、このTEDトークで語っているエピソードは非常に興味深い。彼女はオーストラリアの小さな田舎町で育っているが、15歳になったとき、地元コミュニティのメンバーがやってきて、地域の「達成賞」にノミネートしたいと言ってきた。そのとき、彼女の両親は「ありがたい話だが、娘は何も達成していない」と言って丁重に断る。そのときのことをヤング氏は、このように語っている。

 以下、『logmi』より引用


 彼ら(筆者注:ヤング氏の両親のこと)の言った通りでした。私は学校に行き、良い成績を収め、放課後は母の経営するヘアサロンでのんびりとお手伝いをしていました。そして『吸血キラー聖少女バフィー』や『ドーソンズ・クリーク』といったテレビドラマをよく見ていました。「達成」という言葉に対するなんという矛盾。そう思いませんか?

 両親が言ったことはまったく正しかったのです。私は「ふつう」以上のことを何もしていませんでした。何ひとつとして。障害というものを、平均以下の状態であると見なさない限り、「達成」と言われるようなことは何もしていなかったのです。


 そして彼女は、さらにこう続ける。


 私たちはふつうの人ではないと思われています。誰かを感動させ、鼓舞するための存在なのだと。
(中略)
 障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。


  『バリバラ』が「感動ポルノ」という言葉を番組のキーワードとして使ったのも、ヤング氏のこの「障害者は、健常者の感動のために消費される存在ではない」という主張を背景としたものだと考えられるが、『24時間テレビ』に対する批判に通底する感覚でもあると思う。ネットではこの『バリバラ』を賞賛するブログ記事やtwitter投稿などが溢れているが、そこに日本人の障害者に向き合う姿勢の変化を感じる。