現代哲学は
「人間の時代」のその次を考える?

ここであらためて「人間」概念に着目したいと思います。というのも、IT&BT(バイオテクノロジー)革命が、今までの「人間」概念を根底から変えてしまうからです。

それを確認するために、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが提示した「人間の死」という考えから始めることにしましょう。フーコーは構造主義が流行していた1960年代に、『言葉と物―人文科学の考古学』(1966年)を出版し、その最後で「人間の終わり」を次のように宣言しています。

人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれはその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが一八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば─そのときにこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。

フーコーの「人間の終わり」という考えには、ニーチェの「神の死」という思想が前提にされています。ニーチェの「神の死」という思想は『ツァラトゥストラ』(1883~85年)で語られていますが、その原型は『悦ばしき知識』(1882年)のなかで「神の殺害」という形で登場します。

「神の殺害」というニーチェの表現を使いながら、フーコーは近代における「〈人間〉の時代」と結びつけています。神を殺害することによって、「〈人間〉の時代」が始まる、というわけです。

フーコーは『言葉と物』の最後で、現代における「人間の終わり」を示唆しました。けれども、残念なことに、彼はそれ以後について何も語っていません。それに対して、「神の死」を語るニーチェは、同時に「人間」の彼方をも語っています。『ツァラトゥストラ』のなかで、彼は次のように述べているのです。

わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは乗り超えられるべきものである。あなたがたは、人間を乗り超えるために、何をしたか。(中略)人間は、動物と超人のあいだに張り渡された一本の綱である。(中略)人間において偉大な点は、彼が一つの橋であって、目的ではないことだ。

「神を殺害した人間」によって、「近代」という時代が始まりますが、ニーチェはこの「人間」を超克すべきだと主張しています。彼の言葉でいえば、「超人(人間を超える)」への道を歩まなくてはならないのです。ニーチェは予言者のようにこの言葉を繰り返していますが、まさに現代(ニーチェにとっての現代)はその始まりと言えるでしょう。

ニーチェやフーコーは、「人間の終わり」や「人間の超克」を語っていましたが、そのとき想定されていたのは「生身の人間」ではなく、あくまで「概念としての人間」でした。その点では、彼らの思想は抽象的なままだったと言えます。

ところが、バイオテクノロジーの発展によって、その思想が現実味を帯びてきたのです。こうした気配を嗅ぎとって、20世紀末に、ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクが、バイオテクノロジーによる人間の改変を擁護しているともとれる考えを講演で発表します。

スローターダイクはその講演でニーチェの表現(「育種」)を利用しながら、「人間というものは、その内のある者が自らの同類を育種する一方で、他の者たちは前者によって育種されるような獣である」と述べました。これがまさに、人間に対する遺伝子操作の肯定と理解されたわけです。講演が行なわれたのは、「体細胞クローン羊」のニュース(1997年発表)直後ということもあって、ドイツではセンセーショナルな受け取られ方をしたのです。

このスローターダイクの講演に対して、「ドイツの良心」と呼ばれるハーバマスやその周辺の思想家たちが反発し、大きな論争になったのです。ここでスローターダイクの講演そのものの意義を確認しておきたいと思います。というのも、スローターダイクの講演は、バイオテクノロジーの問題を、歴史的な視点から捉えているからです。

スローターダイクによると、「人間」を遺伝子操作する現代は、ポスト人間主義的時代と呼ばれていますが、ここで人間主義(ヒューマニズム)という言葉には注意が必要です。周知のことですが、ルネサンス以来、人文学は「Humanities」とされますので、ヒューマニズムは「人文主義」でもあります。

つまり、ルネサンス以降の近代において、ヒューマニズムは書物による研究(人文学)であると同時に、人間を中心にした「人間主義」でもあったのです。スローターダイクは、こうした近代の「人文主義=人間主義」が現代において終焉しつつある、と宣言したわけです。

ルネサンス以降の近代社会では、印刷術によって可能となった書物の研究である「人文主義(ヒューマニズム)」と、人間を中心におく「人間主義(ヒューマニズム)」が展開されてきました。ところが、現代において、こうした近代ヒューマニズムが終焉しつつあるのです。

一方で情報通信技術の発展(IT革命)によって書物にもとづく「人文主義」が、他方で生命科学と遺伝子工学の発展(BT革命)によって「人間主義」が終わろうとしています。近代を支配した書物の時代と人間の時代が、今や終わり始めたのです。