アスファルトに水を撒いたような人
内外雑貨につとめていた頃の渡辺は、当時流行の“2階借り”生活をしていた。1階に大家が住んでいて、自分はその2階を借りているのだ。
会社が終わって部屋に帰ると、6時か7時頃に幸一が自転車で迎えに来る。しかも毎晩だ。
「おーい、おーい」
そう言って下から渡辺を呼ぶのである。
大家がどう思ったかは定かではないが、ともかく渡辺は彼の自転車の後ろに乗って、まだ砂利道だった御池通を走って室町の工場へと向かった。
渡辺はすらっと背が高い。美男美女のふたりだが、当時の御池通は砂利道だけに、映画「ローマの休日」のような優雅なサイクリングとはいかなかった。
「こんなんな、自転車の2人乗り、ポリスマンにつかまったらどうすんの?」
後ろから渡辺が言うと、
「ええやないか、そんなもん『お母はんが亡くなったんや』言うとけ」
と幸一が応える。まるで夫婦漫才のようであった。
道路に面したしもた屋の格子戸をガラガラッと開けて入っていくとすぐ、そこかしこに荷造り途中の木箱が乱雑に並んでいるのが目に飛び込んできて、きれい好きの渡辺は思わず顔をしかめた。
そして裏にある洋館の3階に通してもらった。入口には“木原”という表札がかかっていたそうだ。
そこでブラジャーの作り方について毎晩指導してやった。毎晩11時か12時頃までそれは続いたという。しかもこれが無給奉仕なのである。
「塚本さんもお金ないしね。こっちは給料もうてるから、会社へ勤めてるから」
渡辺はそうさらっと話してくれたが、ほかにこんなエピソードも披露してくれた。
ブラジャーの試作品第1号のモデルが良枝であることは既に触れたが、その後は渡辺がモデルとなって試作品を作ったというのだ。
「裸になってモデルをするのなんか、なんとも思いませんでしたね。今思うとね、ようそんなことやってきたなと思いますけど」
いくら気が強いと言っても20代の妙齢の女性である。これも幸一の人間的魅力のなせる技なのだろうか。
「塚本さんは、アスファルトに水を撒いたような人や」
渡辺はそんな不思議な言葉で彼の魅力を表現していた。
その人間力ゆえに、彼が何か行動を起こすとその影響がばっと広がり、周囲に一気に浸透していくという意味だ。
「徳があるんです。人材の得られる人と得られない人では違ってきます。人材の得られる人は、やっぱりトップになっていきますわね」
そう渡辺は語ってくれたが、その“人材”の一人が渡辺あさ野自身だったのである。