女性の洋装化と拡大する下着市場
春はファッションの季節だ。昭和24年(1949年)春も装身具の販売は順調だった。だが幸一は不安を隠せない。その理由の一つは流行が大きく変化することだった。
模造真珠だ、ブローチだ、竹細工だ、水晶ネックレスだといろいろと扱ってきたが、安定して売れる商品がなかなか見つからない。
最初のうちは、それが商売をするうえでの面白味でもあったのだが、会社を大きくする上で、絶えず流行を追うのは危険すぎる。幸一は手探りを続けているうち、やがて一つの方向性を見いだそうとしていた。
昭和24年5月のある朝、幸一は中村にこう語ったという。
「俺は将来、繊維を店の主力商品にしたいと思っている。目をつけているのは、ブラジャーとコルセットだ。女性が洋装するときに不可欠の下着で、日本女性の洋装化が進めば、大きな将来性が期待できる」(『ワコール50年史 “こと”』)
(ブラジャーやコルセットねえ……)
幸一の言葉がまだ耳の奥に残っている中村は、進駐軍から物資の払い下げを受けている男から一冊のファッション・カタログを見せてもらった。シカゴに本社を持つ世界一の小売業シアーズ・ローバックのカタログである。驚くほど鮮やかなカラー刷りで、女性下着が数十ページにわたって掲載されている。
「確かにこの下着の市場というのは大きそうやな」
中村がカタログのことを話すと、幸一は嬉しそうに破顔した。
下着と一概に呼ぶが、ファンデーションとランジェリーの2種類がある。ファンデーションは身体のラインを美しく補正する下着のことで、ランジェリーは補正された身体と服の間を結んでいくものだ。すべらすためのスリップ、ペチコート、ショーツ、ガードル、あるいはネグリジェなども含めランジェリーと呼んでいる。
これをきっかけに女性下着に興味を持った幸一は、ブラジャー・コルセット・アソシエーションという業界団体がアメリカにあることを突き止め、手紙で問い合わせてみた。
すると、なんと1943年度の売り上げがアメリカ国内だけで1500億から2000億円近くあることがわかった。
目指していた大企業への道がここにある。
「俺は婦人物をやる。和江商事の将来はこれだ!」
中村にそう語り始めた。