シェンク社長は一刻も早く提携先をきめて、日本の販売網を一気に拡大したい意向だった。実際、渦巻き状に刺繍がほどこされた彼らの「リングレット・ブラ」はヒットしそうな兆しを見せていた。

 彼はいきなり和江商事に提携をもちかけてきた。しかも独占販売契約である。その代わり、厳しい条件をつきつけてきた。

「わが社との提携をお望みなら、保証金として100万円をご用意願いたい」

 これには耳を疑った。100万円と言えば和江商事にとって資本金の4分の1にあたる。当時の総理大臣の年収が10万円強だったことを考えれば、今の価値にして3億円にはなろうかという大金である。

 当時の日本の会社の信用度が低く見られてしまうのは仕方ないにしても、ビジネスパートナーとしてはあまりに一方的な要求である。

「貴社の技術を確認させていただきたいので、工場を見せてもらえますか?」

 幸一はこの日、工場見学に備えてカメラを持参していた。

 だが、それは甘かった。

「提携が決まれば見せてもいいですが、今はダメです」

「保証金を積む価値があるか、工場を拝見してからでないと判断できんでしょう。100万円というのは日本の会社にとって決して少ない金額やないんですよね」

 幸一は妥協を迫ったが相手にしてくれない。

「保証金を積んでもらうのが先です」

 の一点張りである。

 なおも押し問答を続けていた時、助け船が来た。部屋をノックする音が聞こえ、ラバブルの人が入ってきたのだ。

「ちょっと塚本さん……」

 彼は幸一に紙片を見せた。電報である。

 そこには〈ハチマンソフ キトクカエレ〉と書かれていた。

 この危篤電報のおかげで、幸一たちはその場からいいタイミングで引き上げることが出来たのである。それは交渉が長引いたときに備え、あらかじめ会社から打つよう指示していたニセ電報だった。

 幸一はすでに押しも押されもしない新進気鋭の経営者である。日本人相手ならどんな状況でも臨機応変に対応できる自信がある。

 だがアメリカ人相手となるとそうはいかない。何が起こるかわからない。実際、この時も予想だにしていなかった保証金などという条件を持ち出されたわけだ。

 幸一は日本ラバブル社を訪問する前、いろいろなケースを考え、このニセ電報を考えついたのだ。かつて平野商会に取引を依頼するときに変装して旅館に行った件といい、塚本幸一という経営者は時々こうした芝居がかったことをする。

 ともかく、これで少し考える時間が出来たが、100万円が大金であることに変わりはない。保証金だから、相手に支払うわけでなく、いつかは戻ってくるカネだが、会社の資金繰りには影響が出る。

 幸一は一晩考えに考え抜いた末、保証金を積んででも提携に踏み切ることを決意した。一時的な資金繰りの逼迫よりも、彼らにライバル会社と組まれることのほうが脅威である。そう判断してのことであった。