対応は及第点とはいえない
大相撲の八百長は、やはり存在した。本欄の連載で、筆者も八百長問題への対応の重要性を指摘したが(第134回「文科省は大相撲に責任を持って介入せよ」2009年6月16日付)、これは、今回露見した十両クラスの取り組みの問題ではなく、筆者のような一般ファンが注目する大関クラス以上の取り組みにも「おかしい」と思えるものがあったからだ。但し、八百長の存在自体は、いわば「大人の常識」の類だったから自慢するつもりはない。
これまで、事実の立証の難しさから、日本相撲協会の「八百長は存在しない」という強弁が通っていたに過ぎない、と筆者は思う。それでも、具体的に立証する根拠がないと、固有名詞を挙げて「八百長!」と指摘することが出来ないのが、この問題の難しさではある。
協会は、どうせ立証されることはない、と高をくくっていたのだろうが、これは大きな油断だった。嘘(=八百長はない)がばれてしまうと、これまでの強弁が大きな反動付きで全て再び疑われることになった。
協会が春場所(三月場所)を休止したのは、適切だし、仕方があるまい。しかし、特別調査委員会に調査を委ねて漫然と調査結果を待っている現状の対応は適切とはいいがたいし、放駒理事長が早々に「過去には(八百長は)一切なかった」と言い切ったのも不適切だった。
完全な潔白の証明など出来ないのだから、調査は基本的に、「ほとぼりを冷ます」ための時間稼ぎであり、世間に対する言い訳に過ぎない。つまりは茶番なのだが、茶番であるが故に、もっと真剣にやらなければならない。
積年の膿を出すのだ。調査は、最大限の信憑性を持ち、世間に驚きを与えるくらいのものでなければならない。なかば身内のような外部有識者に頼むのではなく、専門的な調査会社に調査を委託すべきだし、たとえば、今回の調査に限り、「クロ」を表明しても解雇はしない、というくらいの条件を現役力士、親方に付けて、調査を行うべきだろう。調査委員会の聴取の後に横綱白鵬が「ないとしか言えないじゃないですか」と言ったが、その通りだ。「クロ」の力士は番付を降格するなり、あらためて実力審査の機会を設けるなりすればいい。但し、特別の計らいは今回だけにする必要がある。