波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載では話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。
綱渡りの資金繰り──[1995年10月]
「いってらっしゃい」
若菜の朝の見送りにも、もはや笑顔を返す余裕はない。来る日も来る日も銀行回りばかり、僕は心の底からうんざりしていた。
長男の優は小学校2年生となり、次男の涼も幼稚園の年長組だ。やんちゃな盛りの二人に囲まれ、子育てに追われていた若菜だったが、重苦しく沈む僕の表情から、将来への不安を感じていたに違いない。だが、もはや何から話していいのかすら、僕にはわからなかった。
ただでさえ現金が足りないのに、岩郷氏の金遣いの荒さも手伝って、僕の仕事はほぼ資金調達の一本に絞られていた。サラ金に手を染めなかったのは不幸中の幸いだが、銀行には片っ端からアプローチし、あらゆるツテを使ってお金を借りた。だが、資金需要はとどまることなく、綱渡りの状態が延々と続いた。
毎月25日の給与支払日、そして10日と月末の取引先への支払日。すべてを約束通り支払える月など皆無だった。最優先したのは社員の給料だ。それに岩郷氏への支払い。さらに銀行返済やカードなど金融機関への支払い。裁判の和解や公正証書で決まった支払い。小口支払い。取り立ての厳しい取引先。そして普通の取引先。何十件とある毎月の支払いに優先度をつけ、剰余金を振り分ける。取引先への支払い遅延のお詫びと返済計画の説明が僕と福田の定例業務になった。
そして毎日のように銀行を訪れ、事業計画を説明する。20行以上の銀行に電話をかけて、新規融資をお願いしたこともあった。銀行からの借金は4億円に増え、年間の返済金額は約1億円にまで膨れ上がった。
返すアテのない金を借り続けることで、僕の心はすさんでいった。借金は麻薬のように人の感覚を麻痺させる。心のなかまで貧しさにどっぷり浸った僕は、お札に触ると温かい人肌のようなぬくもりさえ感じるようになった。
僕の浮き沈み激しい人生のなかでも、最もつらかったのがこの時期だ。起業家なのに事業のことを考える余裕などほとんどない。お金を調達してくることだけが自分に課せられた使命なのだ。
社員の給与だけは絶対にきちんと支払うこと。僕と福田はそう決めていた。その代わり、二人の給与がまともに支給されることはめったになくなり、僕たちはクレジットカードで社員の給与を前借りした。給与の遅配を一度もしなかったことは唯一の救いだが、取引先や税務署、社会保険事務所には未払金が山積していった。いつ銀行口座を差し押さえされるか、裁判を起こされるかわからない。破産を宣告される可能性すらあった。
今の安らぎも、明日への希望もまったくない。まるでロシアンルーレットで銃口を突きつけられた終身刑の囚人のようだった。
自己破産できたらどんなに楽だっただろう。だが、自宅を担保にとられた時点で、その選択は僕のなかから消えていた。もちろん、破産したら社員にも取引先にも迷惑がかかる。しかし、精神的に追い詰められた僕にとって、最後に残された砦は家族だった。
自分の事業の失敗で両親から家を奪い、妻と子どもたちを路頭に迷わせることだけは、なんとしても避けなければならない。自宅を担保にとられるということは、借金のカタに家族を差し出すことと同じなのだ。ようやくそのことに思い至ったが、時すでに遅く、僕に逃げ道は残されていなかった。
当時話題だった『完全自殺マニュアル』(鶴見済、太田出版、1993年)には、部屋で簡単に死ねる方法が書いてあった。死んだらどんなに楽だろうか。家族と会社のために一億円の生命保険をかけていた僕にとって、それはリアルな選択肢のひとつだった。