ターニングポイント──[1995年12月]
一日の激務が終わり、帰宅するのは深夜になった。
子どもたちの寝顔が目に入り、少しだけ心が和んだ。屋根裏に造作した自分の部屋に入ると、すぐさまベッドのなかに潜り込み、わが行く先を悶々と思い悩む。出口の光すら見えない漆黒の苦しみに、果たして終わりはあるのだろうか。
外界から遮断された深い夜には、ひたすら本を読むのが習慣になっていた。それは現実逃避から来た行動だったかもしれない。『菜根譚』『老子』『貞観政要』『人を動かす』。心が挫けそうになると『般若心経』で折り込んだページのマーカーを何度もなぞって読み返した。逆境に耐えるリーダーのあるべき姿を求め、全26巻の山岡荘八『徳川家康』も精読した。
夜が明ければ、借金地獄の喧騒が待っている。だがシーンと静まり返った深夜のひと時は、僕に残された最後の砦だった。しばしの間だけでも楽になりたい。その一心で、僕は偉人の言葉に救いを求め、自らの状況になぞらえていった。
仏教には三法印「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」という根本原理がある。ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。あらゆるものは絶えず変化し、消滅してゆく。自分自身と思って疑わないこの身体ですら、細胞は常に生死を繰り返しており、確固たる実体があるわけではない。その真理を虚心坦懐に受け入れて、とらわれない生き方に目覚めた先に、真の安らぎがあるという教えだ。
般若心経には六不「不生不滅、不垢不浄、不増不減」という一節がある。生き永らえることに貪欲になり、死にたくないと思い悩む。自らの短所を鬱々と悩み、長所に慢心を感じて人に恨まれる。成功しなければいけないと焦り、築いてきた財産や地位を失いたくないと執着する。人は欲深い生き物だ。しかし、それらの苦悩も自らの心がつくり出した幻にすぎない。苦しみの多くは妄想と執着から生まれ、永遠に続くと錯覚してしまう。それが苦悩の根源だと釈迦は説いた。
そんな至言に触れ、僕の心には次第に変化が生じていった。
僕という人間は、今、何に思い悩んでいるんだろう。苦悩する自分自身を冷静に観察するもう一人の自分が、僕の心に芽生えてきたようだった。つらい、どうにもならない、もう生きていたくない。そんな負の循環に自分を追い込んでいるのは、現実そのものではなく、実は自分自身なんじゃないか。不安を心のなかで繰り返し、恐怖を増幅していたのは、僕自身の心じゃないか。
僕はハッと気がついた。目の前で起きている厳しい現実を直ちに変える力は僕にはない。だが、その出来事をどう受け止めるか、心のあり方を決めているのは他の誰でもない、僕自身だった。僕の心は、僕にしかコントロールできない。今ここで、僕が何を考えるか、それを決めることができるのは僕だけだ。心のなかは究極の自由なんだ。
その時、疑心暗鬼で凝り固まった胸のつかえが、すっと消えていくのを感じた。
意識して、心のあり方を変えてみよう。落ち着いて、目の前の現実を直視することからはじめてみよう。僕を不安の螺旋に追い込んでいるものの正体は何なのか。なぜ、僕は苦境に陥っているのか、その根本原因は何だったのだろうか。
ダイヤルQ2ブームの時、多くの人々が事業の行く末に警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、僕は聞く耳を持たなかった。誰よりも早く成長し、自らの手柄を誇りたい。そんな見栄や焦りから、無理な拡大路線に舵を切ってしまった。そして起業したての頃には毛嫌いしていたはずのアダルト系コンテンツに、自分たちの命運を預けてしまった。社会問題になった時点で頭を冷やして方針転換し、堅実な経営を目指していれば、こんなことにはならなかったのだ。
やがて事業が傾いた時、僕は返すアテのない金を借りてしまう。なんとかなるんじゃないか、そんな甘さが命取りだった。返済のメドが立たないお金は、断じて借りてはいけなかったのだ。それより持続可能な企業を目指して、固定費を大胆に縮小すべきだった。リストラを避けたことで、事態をより深刻にさせてしまった。結婚よりも離婚のほうが何倍もエネルギーがいるように、事業もはじめるよりも撤退するほうがむずかしい。真の勇気が必要だからだ。
押し寄せる経営難の末に、僕は岩郷氏に対する依存心を高めてしまった。それは明日をも知れぬ恐怖から来たものだった。資金ショートの恐怖、過剰クレームの恐怖、社員が離れていく恐怖。明日にどんな最悪な事態が襲ってくるのか、想像もつかない。恐怖はそんな無知から生じていた。危機の時こそ冷静になり、自らの傷口を直視しなければならなかった。起こり得る最悪な結果を想定することだ。そのうえで、その困難をどう克服するか、一つひとつの問題の解決に真正面から取り組むべきだった。
僕はようやく自覚した。今起きているトラブルは、すべて僕の甘さや判断ミスが原因であり、もとをたどると僕自身の見栄や焦り、未熟さ、恐怖心から来たものだった。フレックスファームの経営難という現実は、それらが積み上がった結果だった。
目の前にある現実は限りなく厳しい。あたかも何重にも固く絡まった糸の玉のようだ。
だが、それらは僕自身が編んでいった糸なのだ。どれだけ絡まった糸の玉でも、一本一本、丹念に選り分けていけば、必ず解きほぐすことができるはずだ。そこから目を背けずに、自分でコントロールできることに焦点を絞って、冷静に次の一歩を踏み出そう。この苦難はきっと、僕を成長させるために神様が与えてくれた「神のパズル」なのだ。
その時、僕の心に勇気の灯がともった。
もう一度、自分の心に素直になろう。そして、目の前の現実から逃げずに生き抜こう。
静寂に包まれた真夜中のベッドのなかで、僕は覚悟を決めた。新たな道を、自分自身の足で歩いていこう。それは開き直りにも近い心境だった。(つづく)
(第15回は1月20日公開予定です)
斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数