大学に行かなくても、大卒をつかえばいいんや

 幸一は八幡商業から大学には進まなかったことに、終生コンプレックスを抱いていた。

「大学に行かなくても、大卒をつかえばいいんや」

 よくそう口にしていたことを、妹の富佐子は記憶しているという。

 昭和30年の下着ブームが来る直前、和江商事は大卒の採用をはじめていた。

 昭和28年(1953年)に酒田清光、惣司秀雄ら第1号の大卒社員を採用できたことに意を強くし、翌29年(1954年)から公募による大卒の採用を開始したのだ。

 昭和29年というのは、朝鮮特需の反動による不景気が世を覆い、和江商事も給料を下げていた苦しい時期だ。出張に使う列車も社長以下全員3等にし、吸っている煙草の銘柄もバット(旧三級品の中でも最安値の両切り煙草)に落として経費削減に努めていた。

 大卒でさえ就職の厳しい時代だったが、幸一はここに目をつけた。

 (不景気でどこも求人を控えている時期やからこそ、ええ人材がとれるんやないか)

 しかも求人広告を出して応募を待っていたわけではない。

 昭和28年10月から取締役に列していた義弟の木本寛治が、かつての彦根高等商業学校の同期生であり滋賀大学経済学部で教えていた高田馨教授を訪ね、優秀な学生が欲しいと依頼。そのおかげで高田門下の俊秀が和江商事の門を叩いた。

 下着ブームで和江商事がまさに飛躍しようとするとき、彼らの採用が吉と出るのである。

(つづく)

(作家 北 康利)

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