この言葉は本心だった。この場合の雑貨屋には縫製業者も含まれる。種類やサイズが増えて事業が大きくなるにつれ、商品管理が難しくなって過剰在庫や不良在庫を抱えやすくなるというわけだ。

 すると幸一の悩みに高田はこう答えた。

「それはまさに私の専門分野ですな」

 高田がこの時、幸一に解説したのは、在庫管理を数理処理して効率的にしていく商品管理システムについてであった。

 大いに得るところがあると感じた幸一は、すぐにそれを採用することを決め、早速商品管理課が設置されることとなった。

 そして経理に配属されていた伊藤が商品管理を担当することとなったのである。恩師の大学での教えを実地に生かせる機会だけにやる気が出るのは当然だ。

 すぐにこの部署を取り仕切り、翌春に入社した片山、不破、鈴木、伊東という4人の大卒新人も伊藤が研修して各事業所に配置し、それぞれの事業所の商品管理を行うまでになった。

 昭和30年(1955年)に入ると、前年の不況が嘘のようになり、ブラジャー、コルセットの需要が急速に伸び出した。この年の4月、200万円増資して資本金を800万円とし、大卒社員も含め、従業員数は300人に達しようとしていた。

 そしてここから前年比3、4割増しで売り上げが増え、実際、新聞や雑誌に頻繁に「下着ブーム」の文字が躍るようになる。ようやくファンデーションに対する認識が定着し始めたのだ。これまで何度も触れてきた「下着ブーム」の到来である。

 ここで商品管理のノウハウが生きた。