パソコンやケータイのメールに代表されるように、人びとが文字を読み書きする機会は急増した。また、Web上には膨大なコンテンツが溢れている。本との向き合い方や距離感も変わりつつあるなかで、読む力や書く力、考える力を磨くためには何が必要だろうか。明治大学教授で『読書力』や『三色ボールペンで読む日本語』の著者である齋藤孝氏に、ダイヤモンド社でデジタルコンテンツビジネスを統括する辻広雅文取締役・論説委員が聞いた。

知の“デフレ現象”と読み手優位へのシフト

さいとう・たかし/1960年静岡生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒業。東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻博士課程等を経て現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。主な著書に、『声に出して読みたい日本語』シリーズ(草思社)、『三色ボールペンで読む日本語』(角川文庫)、『読書力』(岩波新書)、『からだ上手 こころ上手』(ちくまプリマー新書)など。近著は、『齋藤孝教授の天声論語―部下を持ったら心のなかで復唱したい「論語」50選 』(ダイヤモンド社)

辻広 私たちを取り巻く情報環境は、劇的に変わりました。インターネットが浸透したことで、人びとが文字を書いたり読んだりする機会が増えています。私自身、毎日大量のメールを読み書きしています。10年前に比べれば、その量は5倍、10倍になったのではないかと思います。このような環境の変化は、人間にどのような影響を与えているのでしょうか。

齋藤 高い情報処理能力が求められるようになった一方、中身が付いていけていない場合、安易になる傾向があります。

 たとえば、コピペがクセになっている大学生がいます。ウィキペディアなどのテキストを貼り付けて、それでレポートができたと思っているのです。一見、文章は整っているのですが、そこには「考える」というプロセスがほとんどない。冷凍食品を解凍しただけで、本人が料理をしていない。レポートを課した教師としては、「キミがどう料理するかを見ているんだよ」ということなのですが。

辻広 「これでレポートが完成した」と思える、その感覚はどのように形成されたのでしょうか。

齋藤 最近はブログで人気を集めて、本を出版する著者も珍しくありません。「書くこと」が特権的な行為ではなくなりました。このような変化のなかで、「すべての人の文章は平等」という感覚が広まりつつあります。