経済の研究をしていると、つくづく経済の歴史は政治的だと感じることが多い。特に欧州の経済統合・ユーロについてはそうだ。カナダ人の経済学者ロバート・マンデルの「最適通貨圏の理論」をベースとして、経済統合を進め、ユーロを誕生させたということになっている(マンデル先生はその後ノーベル経済学賞を受賞)。
最適通貨圏の理論では、圏内の各国は経済的に同レベルであることが基本だ。しかし、最近の移民問題にしても、南欧危機を見てもわかるが、現実はそうではない。欧州統合は、そもそも政治的な動きなのである。
以前、ドイツは西と東に分断されていた。通貨・国際金融を勉強した方はわかると思うが、かつて西ドイツの通貨マルクは、ドイツの中央銀行ブンデスバンクの厳格な管理により「世界最強の通貨」と呼ばれ、西ドイツの誇りといっても過言ではなかった。一方でフランスフランやイタリアリラなど、ラテン系諸国の通貨は人為的に通貨量を増加させて為替レートを引き下げ、通貨の信任を失っていた。西ドイツはそのようなラテンの通貨と最強のマルクを統合することはしたくなかった。
そこで、フランスは政治的な駆け引きに出た。東西に引き裂かれたドイツには、東西ドイツの再統一という国民(国家)的な悲願があった。フランスは東西ドイツの再統一とユーロ導入(マルクの廃棄)を交換条件にした。通貨を捨てるということは、感情的には国旗を捨てることに近いと筆者は考えている。
西ドイツは東西ドイツ統合とユーロへの道を選び、1990年にドイツは統一。東ドイツ経済救済のため、実際の価値は西ドイツマルクの4分の1といわれた東ドイツマルクとの交換レートを、政治的に1対1に設定した。その後、1991年に欧州連合条約(マーストリヒト条約)が合意され、附帯議定書で単一通貨ユーロの創設を定めた。