東日本を襲った今回の大地震や巨大津波そして福島第一原子力発電所の事故に対しては、世に「専門家」と呼ばれている人たちから「想定外」という言葉が頻繁に発せられた。しかし、日本が軍事的衝突や戦争に巻き込まれる蓋然性が低いからといって、「想定外」という言葉を用いて、防衛力そのものを所有する必要がないという人は少ないだろう。
たとえ蓋然性が低くとも、生じたときに国民の生命そのものを脅かすほど甚大な被害を及ぼすものであるならば、それを「想定外」という言葉で片付けてはならないのである。筆者は、食料危機についても、同じことが言えると思っている。
東日本大震災は、食料の重要性を改めてわれわれに教えてくれた。物流が途絶した被災地では、食料品が十分に届かない状況がいまなお続いている。被災地から遠く離れた東京でも、納豆、牛乳などは一人一個の購入に限定された。また、多くの消費者は食料の買占めに走った。われわれの生命を維持するために必要な食料は、たとえわずかな不足でも、人々をパニックに陥れる。それは、1993年の平成のコメ騒動でも経験したことである。
今回の震災が示すように、日本で生じる食料危機とは、財布にお金があっても、物流が途絶して食料が手に入らないという事態である。農林水産省や一部の専門家は、穀物価格が国際需給の逼迫を背景に2020年にかけて30%程度上昇するという試算をよりどころに、あたかも日本が買い負けて食料危機が発生するような可能性を示唆しているが、それは的外れな議論であろう。
現実には日本は、国際価格よりもはるかに高い価格で食料を輸入している。中国などに買い負けしているとよくいわれるマグロが、日本の食卓から消えたわけではない。3年前に穀物の国際価格が高騰した際に、フィリピンでは大変な混乱が生じたが、日本ではパンの値段が少しあがってコメの消費が増えたくらいの影響しかなかった。この事例が示すように、われわれが本当に心配すべきは、日本が食料を買う経済力がなくなるという事態よりも、物流が途絶して食料が手に入らなくなる事態であるはずだ。