【貿易の裏側】メキシコもシンガポールも笑顔に…日本が叶えた「本当のWin-Win」とは?
「経済とは、土地と資源の奪い合いである」
ロシアによるウクライナ侵攻、台湾有事、そしてトランプ大統領再選。激動する世界情勢を生き抜くヒントは「地理」にあります。地理とは、地形や気候といった自然環境を学ぶだけの学問ではありません。農業や工業、貿易、流通、人口、宗教、言語にいたるまで、現代世界の「ありとあらゆる分野」を学ぶ学問なのです。
本連載は、「地理」というレンズを通して、世界の「今」と「未来」を解説するものです。経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの地理講師の宮路秀作氏。「東大地理」「共通テスト地理探究」など、代ゼミで開講されるすべての地理講座を担当する「代ゼミの地理の顔」。近刊『経済は地理から学べ!【全面改訂版】』の著者でもある。

日本が叶えた「究極のWin-Win」とは?
経済連携協定(EPA:Economic Partnership Agreement)とは、幅広い経済強化を目指し、貿易や投資の自由化、円滑化を進めるための協定のことです。関税や非関税障壁の撤廃だけでなく、投資や特許、外国人労働者の受け入れ、電子商取引など多岐にわたって連携を強化します。
しかし、締結には時間がかかります。国家間の利害調整が複雑になるからです。日本の場合、国内産業(主に農業)の調整が課題といえるでしょう。
日本が初めてEPAを結んだシンガポール(2002年)と、2番目に結んだメキシコ(2005年)の例を見てみましょう。シンガポールは都市国家であり、わが国の淡路島より少しばかり大きいだけの国土面積で非常に小さい国です。
しかし人口(2023年)はおよそ592万人(淡路島に在住する人は12万3444人)と、人口密度が極めて高い国です。
人口密度は、人口を国土面積で割って算出します。シンガポールの人口密度は、およそ7851人/㎢です(ちなみに淡路島はおよそ208人/㎢)。また、国土が狭い国だけに、自動車による交通渋滞が頻発する可能性があります。そのため、「これ以上自動車は増やさん!」とばかりに、シンガポールでは、新車購入券(COE)がなければ自動車を購入できません。
車両基準価格に対して高額な追加登録料(ARF)が課されるうえ、新車価格にCOE費用が上乗せされるため、自家用車を持つには最終的に1000万円を超える資金が必要になることもあります。
「競合」がなく、スムーズに締結
これだけ人口密度の高いシンガポールにおいて、大規模な農業が行われるでしょうか?
数字で確認してみましょう。
・農業生産額の対GDP比→0.03%(日本は1.01%)
・耕地面積率→0.92%(日本は11.87%)
農業従事者は1500人ほどで、農業従事者1人当たりの耕地面積は0.5haほどしかありません。これでは国全体の経済活動において農業が主要産業とはいえない状況です。
シンガポールの主な輸出品目(2023年)は、機械類、石油製品、有機化合物、精密機械、プラスチック、医薬品などです。農産物が主要輸出品とはいえないでしょう。
一方の日本の主な輸出品目(2023年)は、機械類、自動車、鉄鋼、精密機械、有機化合物、プラスチック、石油製品、船舶などです。
日本は、シンガポールからの輸入に関する関税撤廃に対し、農産物や皮革製品を除くと例外を設けましたが、日本とシンガポールがEPAを締結しても、お互いの農業が受ける打撃というものはほとんど考えられません。
このためシンガポールとのEPA締結はスムーズに行われました。
メキシコは農産物の輸出国。なぜ締結できたのか?
日本が2番目にEPAを締結したのはメキシコです。メキシコは、米や小麦などはアメリカ合衆国から輸入するため、これらの自給率は低いのですが、野菜や果実は温暖な気候を利用して生産が盛んです。そして野菜や果実は、主要輸出品目でもあります。メキシコの対日輸出品目(2023年)を見ると、機械類、肉類、果実、科学光学機器、自動車、自動車部品、銀、医薬品、石油製品などが出てきます。このため日本の畜産農家、
果物農家などが打撃を受ける可能性がありました。
さらにメキシコはNAFTA加盟国(現在はUSMCAを締結)であったため、アメリカ合衆国から無関税で物品が輸入されてきます。それが、メキシコ産と産地偽装され、日本へ輸出されるかもしれないという懸念もありました。
交渉のさい、メキシコは牛肉、豚肉、鶏肉、オレンジジュース、オレンジについての関税を下げるよう求めてきました。一方の日本は、自動車や鉄鋼などの関税を下げるよう要求します。メキシコとの間では難交渉の末、EPA締結となりました。焦点となったのは「国内農家を守りたい人たちをどうやって説得するか」ということです。
メキシコは、シンガポールやチリと同様にFTA大国です。そのため、日本企業がメキシコに生産拠点を設け、部品や原材料を送り、完成品をメキシコからアメリカ合衆国やEUへと輸出することで、当該地域に対して関税をほとんどゼロにできるというメリットを日本側が重要視したといわれています。
(本原稿は『経済は地理から学べ!【全面改訂版】』を一部抜粋・編集したものです)