ところが今回は、1回目の労働組合結成の時より事態ははるかに悪化していた。

 団体交渉はまさに怒鳴り合い。上司を上司と思わぬ罵詈雑言が投げつけられる。時には徹夜の交渉も続いた。

 木本が相手にしたのはワコール労組だけではない。その上部団体となる全国繊維産業労働組合同盟(後のゼンセン同盟)が、業界としての立場で口を挟んでくるため、交渉は戦闘的で話をややこしくした。

 ある時など、同盟の人間が会社側に対しあまりに失礼なことを言ったため、ワコール労組の初代組合長が思わず自分の立場を忘れて彼らを叱りつけたという。その場にいた木本は、まだワコールの労使関係は捨てたものではないと、将来にわずかな期待を抱いた。

 だが木本の期待とは裏腹に、事態は年々悪化していった。

 昭和35年(1960年)の安保闘争は組合の勢いに拍車をかけた。そして昭和37年(1962年)3月、ついに労使関係は重要な局面を迎える。ベースアップを巡り、48時間以内に満額回答しなければストライキに突入すると通告されたのである。

 下着の売り上げは季節の変わり目に伸びる。春はワコールにとって大切な時期である。ここでストを打たれたら大打撃だ。おりしも50年計画の第2節を迎えようという時、50年計画どころか再び会社存続の危機がちらつきはじめた。

 もう木本に任せておれないと、幸一は動いた。

 まずは社長支持者の多い、営業担当のワコール販売に働きかけた。バリケードを築いて在庫を確保し、組合員の出荷妨害に先手を打ったのだ。会社の中がまるで敵だらけという、何とも情けない対応だが、そうするほかなかった。

 その上で幸一は自ら交渉の場に臨んだ。

「おれの部屋で会う。こちらはおれ一人でいい」

 役員たちは制止したが、塚本は聞かない。ついにその時がやってきた。相手は組合幹部と外部から来ていた同盟の人間である。社長を社長と思っていない輩だ。殺気立っている。

 戦場で味わった緊張を再び味わうことになるとは思わなかった。それも自分の会社の中で。

 だが幸一は、部屋に入ってきた彼らの顔を見た瞬間、

 (勝てる!)

 と確信した。

 命をかけているものとそうでないものの差は歴然としている。相手は綿密な打ち合わせをして、かねてからの計画通りに動いているにすぎない。昼から4、5時間に及ぶ折衝になったが、幸一の全身に宿った覇気が相手を圧倒し続けた。

「戦場で一度は捨てた命だ。おれは復員船の中で誓ったんだ……」

 戦争体験で得た人生観にまで話が及ぶころには、もう勝負はあった。ストライキは中止され、彼らは幸一の出した妥協案を受け入れたのだ。

 だがこの時、幸一はわかっていなかった。自分が最終的な勝利を手にしていないことを。

 まだ不満の火種はくすぶっている。油断すればすぐ次のストライキ通告がやってくる。

 やがて彼は苦しみに苦しみ抜いた末、根本的な解決方法を見いだすことになる。それは欧米経営論の教科書には決して書かれていない、労働史上伝説に残る塚本流の決断だった。

(つづく)

(作家 北 康利)

>>第47回『労働組合の要求を100%受け入れる「信頼の経営」』を読む