「あの野村が、まさか」なのか「また、あの野村か」なのか、報道の論調は分かれたが、野村證券の社員(当時)が関与したインサイダー取引事件には、大いに驚き、且つ失望した。

 事件自体は、M&Aの仲介をする企業情報部に勤務していた中国人社員が、知人の中国人の口座を使って、インサイダー取引をしていたという話で、件数が多い事、継続的に行われていたこと、業界大手の証券会社が舞台だったことなど、多くの点で重大な不正だったが、複雑な話ではなさそうだ。

 ここで敢えて少額と言うが、報道では今のところたった4000万円程度(個人には大きなお金だが、株式市場全体から見ると少額だ)とされる利益の仕組まれた不正を見逃さなかった監督当局のチェック能力は評価していいと思う。インサイダー取引が「割の悪い犯罪」であることは世に示されたと思う。

 事件自体が単純ということもあり、必然的に注目が集まるのは野村證券の管理責任と経営責任だ。

個人の犯罪を強調した
社長会見は失敗だった

 事件が報道された22日、4月1日に就任したばかりの渡部賢一新社長が、さっそくお詫び会見を行なった。渡部社長は、容疑者個人の犯罪であることを強調したが、これは全く不適切だった。証券会社のトップとしてベストな対応は、会社の管理責任を具体的に認めた上で、今後どう対策をとっていくかを、明らかにすることだった。しかし渡部社長が対策として挙げたのは「倫理・教育」といった精神論だけで、何ら具体策がなかった。
 
 これでは、顧客は「野村にはインサイダー取引を防ぐ方策がないのだな」と思ってしまうし、明らかに管理責任があるのに、個人の責任を強調すると、「この社長は、責任逃れをしているのだな」と思ってしまう。これらは、何れも、「ビジネス上」逆効果であり、プロの証券マンとしての能力を欠いていると言わざるを得ない。

 これまでも企業不祥事のたびに、記者会見で「自分は知らなかった」と責任回避に終始し、企業生命を自ら縮めた社長は多かったが、渡部社長の対応もそれらとなんら変わらない。会見での発言から見る限りでは、およそ「野村の社長の器」とは思えない。