以下、順不同でその理由を述べる。

  •  東電は、福島第一原発の沈静化、夏のピーク時に向けた電力の安定供給、原発事故に伴う補償という三つの大きな問題に直面している。これまでわが国のどの組織であれ、おそらくこれ以上の難題を抱えたことはなかったであろう。これほどの難局には、文字通り組織の総力を挙げて臨まなければ、とうてい対処は不可能である。そうであれば、組織の総力を結集させるためにまず所領安堵、すなわち東電の民間企業としての存続を政府が確約することが重要であると考える。「後のことは心配するな」と言われて初めて兵は奮い立つものである。

  •  東電を(一時)国有化すべきだという考えについて。平時でも、政府が民間企業を経営して上手くいったためしはほとんどない。ましてや今は有事である。東電を国有化して、今以上に経営が改善されるとは到底思われない。

  •  東電は、株式や社債の発行残高一つを取ってもわかるように、わが国の金融・証券市場における重要なキープレーヤーの1人である。東電の経営形態に変更を加えるようなことは、金融・証券市場に多大の混乱をもたらすことが容易に想像される。

  •  現状のままでも、補償等には実は何も支障がない。わが国では原子力損害賠償法が定められており、事業者(東電)には事故の過失・無過失にかかわらず、無制限の賠償責任が法定されている。しかも、賠償を迅速・確実に遂行するために保険への加入、国との契約等の損害賠償措置(措置額は商業原子炉の場合は1,200億円)を講じることも義務づけられている。また、損害額が1,200億円を超えてしまい、東電が自らの財力では全額を賠償できない等の事態が生じた場合には、国会の議決により、金融上の措置、予算措置、税制上の措置等を行うことが可能である。すなわち、東電を民間企業のまま存続させたとしても、政府の介入は十分可能な枠組みがすでに用意されているのである。

  •  首都圏に対する電力の供給は誰かが行わなければならない。たとえば、日本航空の場合は全日空という競合企業があったが、東電は地域独占企業であって、競合企業が見当たらない。東電を破綻させた場合、誰が供給責任を担うのかという大問題を解決しなければならない。

  •  引き続き民間企業として東電の存続を認めるということと、今回の事故に対する東電の経営責任を明確化し、追及するということはまったく独立しており、別個に論じることが可能な問題である。この両者を混同するようなことがあってはならない。「東電はけしからん」という市民感情は十分理解出来るが、そのような感情論に引っ張られることが問題の解決に資するのかどうかは冷静に判断しなければならない。懲罰的な発想が上手くいったためしも、また、ほとんどないのである。

 以上、前回に引き続いて第一原発の問題を取り上げた。原子力や電力事業についてはまったくの門外漢であるので、誤解や誤認等についてはご容赦をお願いしたい。