2号機650シーベルトを
どう捉えるべきか?

 では廃炉の現場で働く者たちは、この2号機内部の650シーベルトをどう捉えたのか。彼らの言葉に耳を傾けてみると、意外な反応が返ってくる。

 端的に言えば「特にどうとも捉えていない」人が大部分。むしろ、これまで誰も見たことがなかった未踏領域への到達を喜ぶ声さえ聞く。

 当然だ。今になって1Fの構内で放射線量が上がったという事実は微塵もない。むしろこの6年間、構内の放射線量は下がり続け、空間を飛ぶ細かいチリ、ホコリの放射線量も都内・霞が関周辺と同程度になっている。

 原発の運転中は、原子炉内部で650シーベルトどころではない高放射線量が日常的に存在する。問題は、それを外部に漏れ出ないように隔離できているかどうかだ。今回、650シーベルトを発見できたのは、作業が進み、厳重に外部に漏れ出ないように隔離されていた原子炉を格納する容器の内部まで、遠隔操作をもって計測しに行くことができたからだ。

 もちろん、安全だという話ではない。そこに人間が行けば「その場に数十秒いただけで死に至るレベル」のは間違いない事実だ。ただ、原発が運転していた状態から6年たち、原発内で発生する熱エネルギーも放射線量も当然大きく減り、なおかつ、その放射性物質がザルのようにバンバン外に漏れ出る状態ではないことは自明だ(もし内部の放射能が外に漏れ出る構造にあったら、むしろ、もっと内部の放射線量は下がっている)。

 誤解を恐れずに例えるならば、「エベレストに登りました、人が長時間そこにいれば死に至るような過酷な環境がそこにありました」と言っているようなものだ。エベレストの未踏領域に行けばそういう状況があることは、その山を登る人は当然知っている。それがどのような環境なのか、はじめて現場に行って具体的にわかりました、やっとそこまで到達したんですねという話だ。

 もし、いま稼働している火力発電所のタービンの上に行って「ここに人がいれば数秒で死にます」と言えば「そりゃそうだ」と答えるだろう。元からそこにあった、わざわざ人が行く必要もない場所でもある。650シーベルトが見つかったことは「大発見!」などではない。

 先に言っておくが、今後作業が進む中で、もっと高い線量が出る可能性は高い。それは、作業が核心部の未踏領域に近づき、「Unknown」が「Known」になるからだ。例えば、1、3号機は今回調査した2号機よりも溶け落ちた燃料の量は多いと言われている。より事故状態の時間が長かったのだ。そういう事実関係を事前に把握しておく人がどれだけいるかどうかで、受け止め方は変わる。誤った方向に社会が進むリスクは減る。