「失敗か成功か」の二択クイズでは
廃炉の真実は見えてこない

 先日の2号機内部のサソリ型ロボットによる調査は最終的に想定していた作業を完了できず、結局、ケーブルを切って内部に放置することになった。その後開かれた記者会見では、どうにかして東電の担当者に「失敗した」と言わせようという問答が繰り返された。東電が「成果があった」という態度を取り続けたからだ。

 果たして失敗したのか、それとも本当に成果があったのか。ここでも正しいモノサシでもって考える姿勢が必要になる。

 途中でロボットが動かなくなったということは、当初の想定通りにことを進めるという意味では明確に失敗だった。一方で、今回は1F内部の情報を、カメラなどを入れながら細かく捉えることが目的であり、その意味では、一定の成果があったとも言える。

 東電が「失敗しました」と涙を流しうなだれる姿を見たい人はいまでも多いだろう。それでスッキリする人もいるかもしれない。ただ、この問題を追いかけ続け、どうにかしたいと思っている私にとっては、そんなものを見せられても何の得もない。知りたいのは、どんな情報が取れて、それがどれだけ意義あるもので、次の工程にどんな影響を与えるのか、ということだ。近日始まる予定の1号機内部の調査をはじめ、デブリ取り出し前の作業の今後につながる何かがあるのかということだ。さらに、それがどのように地域の復興に影響しうるのかということだ。

 成功か失敗か、という二択クイズをやっていては見えてこない、クロともシロともつかないことの中で、私たちは考え続けなければならない。同じようにシロクロで評価できない出来事は、今後も繰り返し起こるだろう。

 廃炉費用は21.5兆円で、当初想定していた額の倍になった。これは問題だ。電力消費者や国民の負担が出ることの正統性も、熟議されるべきなのは当然である。一方で、「こんな膨大な額の無駄遣いはだめだ。削減しろ」とでも言わんばかりの議論がある。

 では単純にカネをかけない、そして、技術もヒトも集まらなくていい、という話になったらどうなるか。ただでさえ30~40年かかると言われる廃炉の計画がさらに長期化するだろう。「そもそも30~40年なんて無理なんだ」という議論もあるが、現状ですら無理である可能性があるものが、さらに難易度を増すということだ。

 いかに効率的にカネをかけるか、あるいはこれだけの額をかけるからには、いかなるアウトプットを得られるのか。こうしたことを具体的に考えるには、相当な知力体力が求められる。

 とは言っても、普段から経済政策や外交防衛、医療福祉を考えて議論するのと大きなレベルの差はないと思う。ただし、最初に学んで前提知識をつけるためのツールが、廃炉に関しては大きく不足しているのも事実だった。だから私は『福島第一原発廃炉図鑑』という本を昨年刊行した。「いかにすれば前に進むのか頭を悩ませ、汗をかく」というモノサシをもち、思考停止しない人が求められているからだ。

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