つねに世間を賑わせている「週刊文春」。その現役編集長が初めて本を著し、早くも増刷が決まるなど話題となっている。『「週刊文春」編集長の仕事術』(新谷学/ダイヤモンド社)だ。本連載では、本書の読みどころをお届けする。
(編集:竹村俊介、写真:加瀬健太郎)

激動の時代こそ、シンプルに考えよ

 雑誌が売れないと言われて久しい。本当にもう雑誌はダメなのか。座して死を待つしかないのか。本章では、私が考えるメディアの未来、インターネット時代の週刊文春のあり方を通して、激動の時代に生き残るための戦略を探っていきたい。

 昨今のメディアに関する議論を見ていてまず言いたいのは、「外見についての議論が多すぎる」ということだ。「4Kか8Kか」「デジタルか紙か」といった議論は、外見の話だ。大切なのはあくまで中身。どういうコンテンツになら、お金を払ってもらえるか。今こそ、そこをとことん突き詰めるべきだろう。

新谷学(しんたに・まなぶ)
1964年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。89年に文藝春秋に入社し、「Number」「マルコポーロ」編集部、「週刊文春」記者・デスク、月刊「文藝春秋」編集部、ノンフィクション局第一部長などを経て、2012年より「週刊文春」編集長。

 自分たちはこれまで何でメシを食ってきて、これから先何で食っていくのか。

 転換期、激動の時代こそ、物事はシンプルに考えるべきだ。週刊文春のいちばんの武器は何か。週刊文春が生み出す価値あるコンテンツは何か。ほかがマネできない、お金を払うに足るコンテンツとは何か。そう考えれば自ずと答えは出る。

 あとは、オリジナルの必殺技を磨き上げ、雑誌の「幹」を太くしていくことに注力すべきだ。全ての判断はそれを基準に下される。幹を太くするものに関しては積極果敢に取り組むが、幹を細くする恐れのあるものは徹底的に排除する。そうした戦略が、週刊文春というビジネスモデルを持続可能なものにする。我々の根幹は言うまでもなく「スクープ力」である。それこそが「文春オリジナルのコンテンツ」を生み出す。よって、その力を弱めるような、取材費や人員の削減などは断固として行なわない。

 幹を太くすることは何でもやる。読者との双方向性を強化し、情報収集ネットワークを拡大するために「文春リークス」を立ち上げる。取材費を補填し、かつスクープの価値を他のメディアに理解してもらうために、記事使用料をもらう。これらは全て幹を太くする施策だ。このいちばん根幹の部分は全く揺るがない。その強い幹から、どういうふうに枝葉を張り巡らせるかという発想が大切なのだ。

 幹が細くなっているのに枝葉ばかりをどんどん張ろうとすると、あっという間にグラグラになり倒れてしまう。インターネットのメディアを見ていると、目先のページビュー(PV)稼ぎのために、大切なコンテンツを無料でどんどん流してしまうことが多い。これを続けると、広告料収入はあるかもしれないが、幹は細くなっていってしまう。他の雑誌と十把一絡げにされた読み放題サービスも「幹を細くする」行為だ。コンテンツビジネスを進めて行く上での大原則は、「コンテンツを適正な価格で提供する」ことにある。一ヵ所でも蛇口が開いていては、成り立たない。

大切なのは「おもしろいかどうか」

 今多くの出版社が目先の売上で帳尻を合わせるため、大量の臨時増刊を発行しているが、そこにも落とし穴がある。もちろん充実した内容のものであれば、何の問題もない。だが人件費を削るため、通常の雑誌と並行して臨時増刊を作れば現場は疲弊するし、トップダウンで否応なく作らされたりする状況だと、「熱」のある、おもしろいものにはならないだろう。ベストセラーの二番煎じにも同じことが言える。最悪なのは、その結果ブランドへの信頼に傷がつくことだ。安全策に走った結果、「小さな負け」を積み重ねていくと、気づいたときには取り返しのつかない「大きな負け」を喫してしまう。これはどんなビジネスにも通じることではないか。

 コンテンツの流通革命によって本質が見えづらくなっているが、いちばん大切なのは、そのコンテンツが「本当におもしろいかどうか」だ。

 画質が悪かろうが「安村さん、パンツ穿いてましたか?」という直撃動画がおもしろければ見てしまう。深作欣二の映画のように手ブレしまくって荒れた画面でも「先生、父親としてどう思われるんですか?」と宮崎謙介議員を直撃すれば見てしまうのだ。雑誌も新聞もテレビも「オールドメディア」などと言われているが、「オールド」も「ニュー」もない。大切なのは、シンプルに「本当におもしろいかどうか」なのである。