5月1日の夜にテレビを何気なくつけていた。これからオバマ大統領が国家安全保障に関する重大な演説をするので待機しろというニュースが入ってきた。日曜日の深夜に何があるのかと訝しがった。だいぶ遅れて大統領が現れ演説をした。米国のCIA(米中央情報局)が率いる部隊がパキスタンにあるウサマ・ビンラディンの隠れ家に突入し、彼を殺害したという発表だった。
この夜は、アメリカにとって大きな喜びの日となった。2001年9月11日に、ビンラディンの指令を受けたアルカイダの信奉者がニューヨークのワールド・トレード・センターに航空機ごと突入し3000余人の罪なき人々を殺害した、セプテンバー・イレブンの惨事が起きてから今年9月11日で10周年を迎える。だが今日に至るまでに苦々しい失策の歴史があった。
この10年間に米国は何度もビンラディンを捕り損ねてきた。2001年12月に米軍がアフガニスタン東部のトラボラ渓谷に彼を追い詰めた時には、ブッシュ前大統領が迅速に必要な部隊を派遣できずに取り逃がしたと言う。翌年の10月にビンラディンはアラブ語圏のテレビ局アルジャジーラにビデオを流し、セプテンバー・イレブンの関与を認めた。それから何度もテレビにビデオを流して自分の健在振りを誇示した。
二度目のチャンスは2007年にやってきた。この年の夏にCIAがアルカイダとタリバンの首脳がトラボラ渓谷に集まって戦略会議をするという情報をつかんだ。これにビンラディンが参加するという。米軍は大規模な作戦を仕掛けたが、市民の犠牲者が多く出る可能性があることを理由に中止した。その代わりに小規模な爆撃をしたが、犠牲者の中にビンラディンはいなかったと言う。
ニューヨーク・タイムズが5月2日付で報じたところによると、次のチャンスは2010年の夏から始まったと言う。CIAがビンラディンの連絡役と考えられる人物を尾行していくうちに、今回の殺害劇の舞台となったアボタバード市の屋敷に頻繁に出入りしていることが判明した。この屋敷は4000平米の土地に3階建ての建物が建てられ、四方に4メートルのコンクリートの壁が建てられ、その上に有刺鉄線が張られいた。3階のバルコニーにも2メートルの目隠しがあった。