なぜ寄付金が必要か? グローバル化が進展するなか、強制的に税を接収する制度をいくら仕組んでも、金持ちは乗ってこない。税をたくさん取られるとなれば、日本から逃げていくのがオチである。国が所得再分配や資産再分配を強制するより、ボランティアをたたえる思想を育て、主体的な寄付を促すほうが得策である。
それも、寄付したお金が赤十字社を通じてどこにいったかわからない、というのでなく、このお金でお年寄りの施設にしてくれ、子どもの就学金にしてくれ、と使い道を限定して寄付できる制度が望ましい。寄付者の思いも通じる。そして、それを国だけでなく民間でも表彰するなど顕彰する風土をつくる。たとえば、学習塾なら子どもの教育関連に寄付した人を表彰します、といったことで民間から盛り上げていく必要がある。
従来、日本では寄付金に対する偏見が強かった。(自らは質素な生活を貫き、多額の寄付をしたことで知られる)土光敏夫ですら、一般には隠匿の精神で語られた。通常、寄付した人は胸をはるべきなのに、日本では何かヘンな金儲けをしているのではないか、と卑しい見方をされる風土があるのだ。福祉国家論の中で、国が全部面倒をみるべき、という思想も根強かった。これを変えていくには、国が制度をつくるだけでなく、民間の取り組みが欠かせない。
国家の役割や財政のあり方も
根本的に見直す時期
復興財源の手当てにとどまらず、国の役割や財政のあり方の見直しも、実は喫緊の課題である。戦後、日本は福祉国家を目指し、社会保障の充実に全力を挙げてきた。しかし制度を構築した当時と比べ、その前提条件は大きく変化し、財源が大幅に足りない。国家財政は1000兆円の借金でまかなわれ、東日本大震災に際しても十分な財政出動が難しい状況だ。