過去40年、“7”が末尾の年には、経済危機が発生してきた。1987年はブラックマンデー、1997年はアジア通貨危機、2007年はサブプライム危機が発生しリーマンショックに発展していった。そして今年も“7”が末尾に付く年だ。

 1997年5月のアジア通貨危機は、タイ・マレーシア・インドネシア・フィリピン・香港・韓国へと伝播し、被害が広がっていった。IMFの対応が後手に回る中、日本は財務省・日本銀行を中心として、アジアにおける金融先進国としてイニシアティブを取り、ASEAN+3(日本・中国・韓国)の金融協力を構築してきた。その結果、10年後のリーマンショックの際には影響は比較的軽微で済んでいる。インドネシアなどはマイナス成長にもならなかった。

 それからちょうど20年の今年、5月のゴールデンウィークに横浜で、ADB総会とともにASEAN+3の総会が開催される。日本もホストカントリーとして会議を主催し、リードする。

 アジア通貨危機の際には、まず短期的な対応として、ASEAN+3の諸国間で外貨準備が不足した時にお互いに貸し借りができる「チェンマイ・イニシアティブ(Chiang Mai Initiative:CMI)」を締結した。また、それまでアジア諸国は短期でドルを調達し、現地通貨に交換した上で長期の融資を実施していたが、短期と長期、ドルと現地通貨の「ダブルミスマッチ」の状態にあった。これを解消する中長期的な対策として、長期でかつ現地通貨で調達ができる、すなわち現地通貨建ての債券市場を整備する「アジア債券市場育成イニティアティブ(Asian Bond Markets Initiative:ABMI」が進められた。これはまさに日本のイニティアティブのもとで進められ、筆者もその対応に参加し、ADB(アジア開発銀行)を始めとして各国を訪問し協議した。

 今回は「チェンマイ・イニシアティブ」の自由に使える“枠”を広げる。実はアジアと言いながらもIMF(国際通貨基金)の力は強く、実行には許可が必要で、総枠2400億ドル(約28兆円)のうち、ASEAN+3諸国がIMFの許可なしで自由に使えるのは、その3割の720億ドル(約8兆円)しかなかった。これを4割の960億ドル(11兆円)に広げようとしているのだ。