いったい貧しいということは
どういうことなのだろうか?
彼らの村に泊まり、ほんのわずかな蓄えもない彼らにもてなされる。
村で過ごす時間が長くなるにつれて、貧しいということがどういうことなのか、僕はますますわからなくなっていった。初めてムアンシンを訪れた8年前も、なんとなくは感じていた。だが、今回は目に見える形ではっきりと思い知らされた。
彼らは僕らよりも、幸せそうに見える。いつも笑っているし、楽しそうだ。家族もいる。住まいは清潔だ。飯も美味い。
しかし、過ごす時間が長くなるにつれ、彼らの幸せな姿に影のように寄り添うものを、目が捉えるようになる。
僕らは台風が来れば家の中でじっとしていれば済む。だが、彼らはその次の年に食べていけなくなる。栄養失調と下痢が重なるだけで死ぬこともある。「茶色い髪」の少女の弟も些細な出来事で死んだ、と聞いて愕然とした。
僕らの日常をさりげなく過ぎ去っていくようなほんの些細なことが、人の死をもたらし、かろうじて安定していた生活を恐ろしいまでに変えてしまうのだ。