この頃、前川らの動向に対して官邸周辺からはこんな情報が発信されていた。

「文科省予算約4.5兆円のうち、ざっくり3兆円が文部省予算で、その半分が義務教育国庫負担金だ。つまり、旧文部官僚のパワーの源泉であり、彼らがどうしても守りたい既得権益なのだ」

 それに対して前川は、「奇兵隊、前へ」というブログを開設し、さらには「月刊現代」に寄稿して、義務教育費の削減は道理が通らないということを声高く主張した。現役官僚が、時の総理が推進する政策に真っ向から盾突くのは、霞が関の常識ではあり得ないことで、相当な物議を醸した。

 だが、旧文部官僚のほとんどが陰に日向に前川を支持していたこと、また当時の文教族の力が小泉・安倍が所属する清和会の中でも圧倒的だったことなどから、一時は「廃止」が確定していた義務教育国庫負担金は、3分の1にまで戻す形で決着したのだった。

 ちなみに、当時の文教族議員と言えば、元総理の森喜朗を筆頭に、「文科(旧文部)大臣経験者でなければ族議員でない」と言われるほど人材が豊富だった。町村信孝、故鳩山邦夫、伊吹文明など、そうそうたる顔ぶれだ。彼らの後押しを受けて政策が揺り戻されたことは容易に想像がつく。

 興味深いのは、元総理の中曽根康弘の子で、前川の義弟にあたる参議院議員の中曽根弘文が1999〜2000年にかけて文部大臣の職にあり、やはり文教族の重鎮だったということだ。

 少々、話は脱線するが、前川を理解するために、彼の出自を見ていこう。前川の家がかなりの名家だということは、霞が関内では知る人ぞ知る情報だ。

 出身は奈良県で、前川家は旧家だった。祖父の代に上京し、総合機械製造業の前川製作所を設立。現在は叔父が3代目を継いでいる。もう一人の妹はレストランチェーンを中核事業とする一部上場企業の会長夫人。元文部大臣である弘文の娘は、日本交通の3代目社長に嫁いでいて、前川を「キヘイ叔父」と呼び慕っている。縁戚は、鹿島建設の鹿島家とも繋がる。