先ごろ、社保審・生活保護基準部会が厚労省内で開催された。生活保護引き下げのターゲットとして最も強く意識されていると見られるのは、子どものいる世帯、特にただでさえ生活が苦しい母子世帯だ

現在の生活保護受給者の暮らしは
まだ“充分な貧困”ではない?

 2017年6月6日、第29回社保審・生活保護基準部会(以下、基準部会)が厚労省内で開催された。本年1月25日に開催された第28回以来、約5ヵ月ぶりだ。この5ヵ月間、基準部会内に設置された「作業部会」において、全国消費実態調査を50階級に分類した上での分析が行われていた。分析の目的をあえて一言で言うと「生活保護の生活レベルは、どの程度の“貧困“であるべきか」ということだ。

 今回の見直し結果により、「現在の生活保護基準は“充分に貧困”とはいえない」という結果が導かれる可能性は極めて高い。その意味するところをさらに一言で言えば、「日本は先進国であることを捨てる」という決意表明ではないだろうか。

 名実ともに先進国であるということは、「絶対的貧困の問題はおおむね解消した(解消しつつある)」という状態を含む。それでもまだ相対的貧困問題が残っている可能性はあるのだが、少しずつでも解消していくのが先進国に期待される態度だ。

 今、生活保護とその周辺で起こっているのは、貧困に関して日本が「先進国」を捨てようとしていることに他ならなそうだ。しかも、貧困の解消を重大目標としている国連SDGs(持続可能な開発目標)を実現するポーズを示し、「子どもの貧困」の解消が必要であるとしながらのことである。

 生活保護の生活レベルは、間違いなく相対的貧困状態にある。過去、生活保護基準が、相対的貧困レベルを示す「貧困線」を上回ったことはない。もし、これが“充分な貧困”でないのなら、日本でいう貧困とは、「相対的貧困状態になる」以下の何かだということになる。

 そして、6月6日に開催された基準部会の資料と、傍聴した方々に提供いただいた傍聴メモを見る限り(今回、私は東京にいなかったため傍聴できなかった)、生活保護制度は「絶対的貧困ではないと言い張れる程度の相対的貧困」あるいは「絶対的貧困だが、まだ死んでないから充分」を目指して暴走しようとしているかのように見えてならない。

 基準部会の今回のシリーズが2016年に開始されて以来、私は何とも禍々しい予感と胸騒ぎを覚えていた。傍聴後は厚労省を出た途端に泣き出し、空腹でも食事をする気力がなく、目まいやフラつきを覚えてから口に食物を押し込んでいた有様だ。