マインドフルネスのブームが示唆
「自分に向き合う」のが世界的潮流

 本当に自分が「どんな自分になりたいか」を知るためには、自分探しの旅行になど行ってはいけない。何もせず、自分に向き合う時間をつくる、つまり瞑想が必要だ。実は瞑想やヨガを中心とするマインドフルネスアプローチが近年盛んになっているのは、世界的に同様の背景があるからだと筆者は考えている。

 10分でもいい、自分は何者で、何になりたいのかを真剣に考える時間を作る。そのときに、自分を評価してはいけない。「自分は頭もよくないし、容姿もよくない」といったような評価は「自分と向き合った」ものではないからだ。それらはあくまで他人との比較でいわれるものだ。ここで問うべきは、他人との比較ではなく、自分の中での絶対的なものである。

 そこで得た理想自己といまの自己との差を知り、理想自己に向かうためにどうするべきかを「与えられた環境の中で」実践するのである。それは実は「禅」の考え方と、ほとんど一致する。

 1つ例を挙げよう。中島敦の「名人伝」という短編小説がある。現在は青空文庫でも読めるし、Kindleでも無料購入することができる。

 そのあらすじは以下の通りだ。

 中国の古典「列子」を下敷きにかかれたこの小説の舞台は、戦国時代の中国。趙の都・邯鄲(かんたん)である。そこに住む紀昌という男が、ある日天下第一の弓の名人になろうと志を立て、その時最高の名手・飛衛に弟子入りする。彼は、5年以上かけて厳しい修行をし、飛衛に並ぶ名人に上り詰める。だが、飛衛をしておのが技は児戯に等しいと言わしめる仙人・甘蠅という名人がいると聞き、彼に師事する。9年の修行を経て、技「不射の射」をついに体得する。真の名人となった紀昌の心は弓への執着からも離れ、ついには弓そのものを忘れ去るに至る。

 主人公は「弓の天下第一の名人」という理想自己を持ち、そこには至っていない現実の自己との差を知るところから話が始まる。話の前半は、その理想自己に近づくための、彼の修行が描かれる。それは想像を絶するものだが、強固に理想自己を追い求める主人公がくじけることはない。

 彼は、弓の名手、飛衛と並ぶ腕前になるが、実はそれが理想自己=天下第一の名人、ではないことがわかり、さらに理想自己を追い求めるために甘蠅に弟子入りする。そして、そこで得たものは「理想自己を追い求める自己を捨てる」ことだったという「オチ」だ。