「極東一」の駅舎を
高官が鶴の一声で解体

 中国でこのような実例を目にしたとき、私はいつも山東省の省都・済南市にある「済南駅」の旧駅舎のことを思い出す。

 済南駅は、1904年にドイツ建築家のハーマン・ファーシアー氏が設計、建設したもの。かつて、戦後のドイツ連邦共和国が出版した『極東の旅』にも、アジア最大かつ極東一の駅として掲載されたほどで、済南市民にとってはランドマーク的な存在だった。

 しかし、1992年初め、山東省の地方都市から抜擢されたある高官の鶴の一声で、この旧駅舎が解体されてしまう。確かに、極東一と自慢していた旧駅舎であっても、経済発展に伴う交通事情に対応できなくなったという側面もあった。だが、文化財の価値に対する理解や見識が、“田舎役人”の域を超えていない高官の意識がより問題だったのである。

 当時、この高官は「済南駅は植民地時代の象徴だ」と自らの決断を正当化していたが、こうした口実こそが古いイデオロギーに凝り固まっていることを逆に象徴している。

 1995年になって、3.9億元(約62億円)を投じて新しい駅舎が建てられた。だが、中国の田舎町でよく見られる安っぽい外観と、中身のない駅舎を見た済南市民は泣いてしまった。そして20年経った今でも、乱暴かつ無知な行政に対する怒りと、無力感を覚えた人々が、高官を痛烈に批判し続けている。