「下」から世界を見つめた人は強い
ただ、こうした打算だけで謙虚なふりをしても、それは相手に伝わります。
大事なのは真心です。相手が誰であろうと、何かをしてくれたら、きちんとお礼をする。悪いことをしたら謝る。この当たり前のことを徹底することです。人間は誰でも「ひとりの人間として認めてほしい」という欲求をもっています。その欲求をお互いに満たし合うことができれば、誰とでも良好な関係を築くことができるのです。
そもそも、そのような人間関係は気持ちがいいですよ。
上流階級か否かなど関係なく、できるだけ多くの人々とそういう関係を築くことができれば、それだけで人生は楽しくなる。私はマレー人のコミュニティにも、華僑のコミュニティにもすーっと入っていけます。温かく迎えてもらえると、こちらもとても嬉しい。そんな人間関係を楽しめばいいのです。
この点、私は恵まれていたのかもしれません。
というのは、私自身が「持たざる者」として人生を始めたからです。「持たざる者」の心の痛みをイヤというほど知っている。それが原体験となっているから、自然とさまざまな人々と対等なコミュニケーションができるのではないかと思うのです。
いまでも忘れられない思い出があります。
私がシンガポールに渡ったばかりのころのことです。当時、現地には、大企業の駐在員で構成される日本人コミュニティがありました。彼らと私には10倍ほどの給料の格差がありましたから、私たち夫婦にとっては“別世界”の人々でした。
ある日、大手商社の駐在員の家で開かれるパーティに誘われたことがあります。しかし、当時の私の給料では、妻にパーティ・ドレスを買ってあげることができない。そのとき妻は妊娠していたこともあって、化粧もせず、近所のマーケットで買ったマタニティ・ドレスを着ていました。
一方、駐在員の奥さんたちは、めいっぱいのおしゃれをしていました。なかでも主催者の奥様は、背も高くて綺麗な方で、素晴らしい着物を着て来客の接待をしていました。シンガポールの華僑たちは、みんなでその姿を賞賛していました。
妻は、会場の片隅でじっと黙ってうつむいていました。おそらく、自分をよほどみじめに感じたのだと思います。家に帰ると、妻は何も言わずしくしくと泣いていました。愛する妻にそんな思いをさせていることに、私は胸が締め付けられる思いでした。
あのころ、このような思いをさんざん味わってきました。いわば、私は人生を「上」からではなく「下」から始めた。自分が周りの人々に認めてもらえない経験をイヤというほどしてきました。だからこそ、いま「下」にいる人の気持ちも手に取るようにわかる。そして、自然と彼らと人間関係をつくることができるのだと思うのです。
だから、若い人にはこう伝えたい。
人生は「上」からではなく「下」から始めなさい、と。
「上」からの景色しか知らない人は弱い。「下」から世界を見つめ、そこで痛みを伴う経験をすることが、あなたを強くしてくれるのです。