その中で「やっていないのに電車内で、痴漢に間違えられたら」という項目を設定。「身に覚えがなければ絶対に認めない、駅員室にも行かない、各地域にある弁護士会の当番弁護士を呼んでもらうこと」という記事を掲載した。痴漢に間違えられて逮捕され、1年9ヵ月に及ぶ裁判闘争のすえ無罪を勝ち取った男性の声も紹介している。

「駅の事務所へ同行するときに、隙を突いて逃げるチャンスがあった。プライドを捨てて逃げていれば、今でもサラリーマンでいられたかもしれない。そう思うと、逃げるべきだったのかもしれない」

 12年前の記事、アドバイスが適切であったのかどうか。ここで改めて、痴漢被害の実態、痴漢撲滅への取り組み、「この人、痴漢です」と言われた時にどう対処すべきかを取材してみた。

 100年以上も前から、痴漢は電車に出没していたようだ。その時の加害者は学生が中心だった。

 1912年(明治45年)1月31日、当時の東京府の中央線の中野と御茶ノ水の間で、朝夕の通勤・通学時に「婦人専用電車」が登場し、これが女性専用車の最初とされている。男性と女性が一緒の車両に乗るのは好ましくないという当時の国民性も反映して導入されたが、その3日前の1月28日の「東京朝日新聞」に次のような内容の記事が掲載されている。

 最近、不良学生が山手線の沿道から市内の各女学校に通う女学生と同じ時間帯に電車に乗って、混雑に紛れて付文(ラブレター)を渡したり、誘惑したり、女生徒の体に触れたり、美しい姿を見るのを楽しみにする風潮がある。彼らは女学生満載の電車を花電車と呼んでいる、と。

 1900年(明治33年)に東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)、津田梅子が設立した女子英学塾(現・津田塾大学)、東京女医学校(現・東京女子医科大学)が設立され、1901年に日本女子大学校(現・日本女子大学)が開校している。1899年(明治32年)に高等女学校令が公布され、高等女学校も増えていた時代である。

 女性の身体に触れる男性が多い区間に女性専用車を走らせることになり、私鉄でも女性専用車を走らせたが、短期間で廃止となり、定着しなかった。

「痴漢は許せない犯罪」という認識へ
きっかけとなった地下鉄御堂筋線事件

 痴漢はどのように出現し、増えていったのか。