金融業界は今や、政治を動かし、一度揺らいでしまえば日々の暮らしを左右する存在になってしまった。世界的に尊敬を集める世界最高のエコノミストの一人であるジョン・ケイは、最新刊『金融に未来はあるか』で、他の産業とは違う特別な存在であるかのように語られる金融業界の神話を切り崩し、巨大銀行の業務の大半が社会にとっていかに有害無益であるかを解き明かす一方で、リーマン・ショック後、金融業界の肥大化を抑制するために導入された膨大な規制も逆効果だと断じ、銀行を「よそ様のお金を預かる」まっとうなサービス業に回帰させていくための全く新しい改革案を提示する。フィデューシャリー・デューティー、ガバナンス・コード、スチュワードシップ・コードなどを提唱し、日本の金融庁などにも大きな影響を与えたことでも知られるジョン・ケイのザ・エコノミスト、フィナンシャル・タイムズ、ブルームバーグでベストブック・オブ・ザ・イヤーを獲得した著作『金融に未来はあるか』からエッセンスを抜粋する。

「ケイ・レビュー」のその後と本書で日本人に伝えたいこと
(日本語版への序文より)

 2011年、私は英国政府の民間企業・技術革新・技能相であったビンス・ケーブル卿から依頼され、株式市場および長期的な意思決定についての総括作業を引き受けた。作業には、ベイリー・ギルフォードのファンドマネジャーであるジェームズ・アンダーソン氏、英国の鉄道の現役・元職員向け年金基金「レイルペン」のクリス・ヒチェンズCEO、ロールス・ロイスの元CEO、ジョン・ローズ卿も加わってくれた。そう、投資チェーンの主役である企業が参加したのだ。機関投資家(アセットオーナー)から資産運用会社(アセットオーナー)までが、勢ぞろいして調査にあたった。

 懸念材料はどっさり見つかった。貯蓄者と企業を結ぶ仲介のチェーンが長々と延び過ぎて、コストが過大になっていた。もっと悪いことに、仲介業者の多くが、最終的な受益者のそれとは異なる目的に合わせた事業モデルを採用していた。企業と貯蓄者にふさわしい時間軸は、投資に加わる大方の顔ぶれが実際に従っている時間軸よりも長かった。

 資産運用会社が「アルファ」を追求するより、「ベータ」を高めるのにもっと集中したほうが、投資家と経済の役に立つだろう。ベータとは企業の根本的な業績であり、アルファとは、商売敵をしのぐリスク調整後のリターンを追い求めることであって、これは業界全体を足し合わせれば徒労に終わるし、個々のケースを見てもほとんどは徒労だ。われわれは投資家フォーラムを創設し、大手資産運用会社が問題を抱える企業の課題解決に向けて協力できるようにした。

 しかし、何といっても痛感したのは文化を変えることの必要性だ。自分の資産が今後どうなるかは、投資対象企業の長期かつ基本的な健全性次第だということを、資産運用会社と受益者がともに理解している──。そんな風土をつくっていかなければならない。われわれが築き上げた公開株式市場は、とっくの昔に設備投資の重要な資金源ではなくなっていた。英国と米国の公開市場では、新規株式公開(IPO)と新株予約権無償割当(ライツイシュー)によって集まる資金よりも、自社株の買い戻しや現金方式の買収を通じて引き揚げられる資金のほうが多くなっていた。

 スチュワードシップ、つまり企業が適切なコーポレート・ガバナンス?企業統治?、有効な後継者育成計画、そして事業を展開している市場や経済圏にぴったりの戦略を整えられるよう見守ることは、もはや、投資に伴う付随的な役割ではなくなった。投資を行うということは、一義的にスチュワードシップなのだ。英国は過去20年にわたり、諸外国に先駆けてスチュワードシップを開拓し、体系化を進めてきた。これには切迫した、独自の事情もあった。英国は主要国の中で、株式保有のパターンが最も多様なのだ。続いて日本を含め、諸外国も英国に倣った。

 私の仕事である「ケイ・レビュー」が、日本におけるスチュワードシップ・コードの導入に影響を与えた要因の一つであると知って、光栄に思っている。どの国であれ重要なのは、単にチェックシート方式で形式的なガバナンス手順を確認することが、スチュワードシップであると考えてはいけないということだ。そうではなくて、投資決定と企業戦略の策定に、スチュワードシップを完全に組み込んでしまうことが大切なのだ。日本のスチュワードシップがどのように進展したか、教えていただく日を心待ちにしている。われわれは皆、国際的な経験から大いに学ぶものだから。

 本書は、ケイ・レビューの策定作業から生まれたものではあるが、より広範な視野に立っている。レビューの作業グループの焦点は、一つの矛盾にあった。企業の資金調達源としての株式市場の重要性が薄れるのと時を同じくして、そうした市場でのトレーディング規模が大幅に拡大したことである。これは、もっと大局的な問題の一側面であることが、次第に浮かび上がってきた。

 金融業界は規模も報酬も膨らみ、財界と経済の中で次第に中心的な役割を占めるようになった。ところがその過程で、金融の基本的な目的と、非金融経済のニーズからどんどんかけ離れていったのだ。「金融とは何のためにあるのか?」という設問が、本書の出発点である。現代の経済は金融を必要としている。金融業がうまく機能していないのに繁栄した社会は存在しない。だからといって、金融業界が大きければ大きいほど繁栄の度合いが高まる、ということにはならない。

 われわれは金融を必要としている。それは決済を円滑にし、われわれの生涯にわたる消費と資産の管理を可能にし、資本を、最も必要とされ最も有効に使われる場所に配分し、日々の暮らしにつきまとうリスクを和らげるべく、企業と家計のお手伝いをしてもらうためだ。金融業の成否は、その機能性と、上記のような目的を達成できたか否かで決まるのであり、業界で働いている個々人や企業の所得や利益で測られるものではない。本書は、このような意味で見て役に立つ金融業を、いかにして創り上げ、監督していくべきかについて記している。

『金融に未来はあるか――ウォール街、シティが認めたくなかった意外な真実』より