ジャーナリズムの世界では、これまで「表現の自由」が当然のこととされてきました。ところが某国営放送局では、「政府が“右”と言っているのに我々が“左”と言うわけにはいかない」と述べるトップが就任して番組の制作方針が大きく変わりました。それにもかかわらず、“ジャーナリスト”が大挙して抗議の辞職をしたなどという話は聞きません。

『幸福の「資本」論』
橘玲著
ダイヤモンド社 定価1500円(税別)

 誤解のないようにいっておくと、私は彼らの選択を批判するつもりはなく、生活を会社に依存するサラリーマンであれば当然のことだと思います。ただそれを、「自由」とはいわないだけです。

 同様の事例は、決算を粉飾するために不正会計に手を染めた大手電機メーカーや、不正に測定した燃費データを使って車を販売していた大手自動車メーカーなど枚挙にいとまがありません。

 どれも事件化してみれば、多くの関係者が気づいており、会社の暴走を止める機会がいくらでもあったことは明らかです。それなのになぜ社員たちは見て見ぬ振りをしたのでしょう? それは自分の人生を会社に委ねているからです。

 もっともこれは日本にかぎったことではなく、ドイツのフォルクスワーゲンがアメリカの排ガス規制を逃れるために悪質な不正を繰り返していたことからもわかるように、世界のどこでも同じです。

 私たちは人生のさまざまな場面で、同様のきびしい選択を迫られます。そして多くの場合、「自由」ではなく「隷属」を選ばざるをえません。なぜなら、国家や会社、あるいは夫(家)に生活を依存し、経済的に独立していないのですから……。

誰でも億万長者になれる残酷な時代

 経済的独立という考え方をはじめて日本人に教えたのは、投資家のR・ターガート・マーフィーとエリック・ガワーの『日本は金持ち。あなたは貧乏。なぜ?』(毎日新聞社1999年3月)でした。

 私はそれまで、自由とは主観的な(こころの)問題だと素朴に思っていましたから、「No Money, No Freedom(お金がなければ自由もない)」という徹底したリアリズムはたいへんな衝撃でした。そこで、平凡なサラリーマンが経済的独立を達成して自由に生きるにはどうすればいいかを考えたのが、拙著『ゴミ投資家のための人生設計入門』(メディアワークス1999年11月/その後『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』と改題して講談社+α文庫に収録)です。

 経済的独立と自由の関係はその後、ベストセラーとなったロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』(筑摩書房2000年)によって日本でも広く知られることになりますが、残念ながら実践しているひとはそれほど多くないようです。「そんなことは無理だ」とあきらめてしまうからでしょうが、はたしてそうでしょうか。