1914年、スタートは長野県軽井沢で生まれた温泉旅館だった。2001年からリゾートや旅館の運営事業に取り組み、今日では「星のや」「界」「リゾナーレ」の3ブランドを全国に展開する星野リゾート。旅館再生事業も手がける彼らは、サービス業における「働き方改革」をどのように考えているのか。代表である星野佳路氏に聞いた。(聞き手/ビズリーチ取締役・キャリアカンパニー長 多田洋祐)
ファミリービジネスのDNAが100年企業をつくった
――星野リゾートは2017年に創業103年を迎えられました。日本企業の平均寿命が25年ほどと言われるなか、長く続く要因はどこにあるとお考えですか。
星野 運の良さもあるのですが、やはり日本人の文化に「家業を継続させよう」というマインドがあることは大きいと思います。海外は事業が大きくなったら売却することを考えますから。私は4代目を務めていますが、103年の間には戦争や震災、景気の波があり、その都度にリゾートを取り巻く問題を乗り越えるための判断もありました。
家業は来年や3年後の利益といった視野ではなく、10年、30年、それ以上の期間で見ていかなければなりません。それは「次世代への視点」の有無で、それは代々失われずに残った星野温泉旅館のDNAみたいなものです。
――事業を継承することにおいては、あらゆる難しさがつきまとうと思います。親子関係だけなく、一般企業でも同様のはずですが、どういった形が理想的とお考えですか。
星野 さまざまなファミリービジネスのパターンを見てきましたが、スムーズに継承するにはたいてい時間がかかるものです。たとえば、親が現役であるときに5年から20年をかけて継承をはじめていくのはスムーズであるようにも見えますが、時間をかけた分だけ戦略が遅れていくことにもなりえます。
だからこそ、まさに私がそうだったのですが、親と大げんかして大変な思いをしながら非情になってまで変えていくことも否定すべきでないと思います。
先代が一掃されることで戦略の転換を早く行うことができ、思い切りがよく妥協のない、新しい時代に合った打ち出し方ができる。僕はこれを「ハードランディング」パターンと呼んでいますが、100年、200年と続く企業にとっての選択肢のひとつだと考えています。
――星野代表は87年にアメリカで日本航空開発(現:オークラ ニッコー ホテルマネジメント)に就職した後、89年に一度は星野温泉旅館に取締役として入社しますが、当時の組織内外からの反発もあって約半年後に退社されます。その後、一度の転職をはさみ、91年に再入社されて今のご立場に就かれました。まさに退任劇ともいえ、ご自身もハードランディングを経ていらっしゃる。
星野 私の場合は「超」ハードランディングでしたね。クーデターと言われましたよ(笑)。ただ、役員選出を含めて妥協のない選択が90年代初期に取れたことで、91年にバブルが崩壊したタイミングにも早く対応できました。代表取締役に就いて25年ほどが経った今から見ても、やはりあの変換点があってこそ、です。