「虎屋」の創業は室町時代後期の京都といわれ、1600年頃には既にその名を「虎屋」と定めていたという。新規開業のみならず老舗や大企業の生存を危ぶむニュースが聞かれる中、500年続く虎屋流の経営や後継者育成とは? 虎屋17代目当主である黒川光博社長を訪ねた。(聞き手/多田洋祐・ビズリーチ取締役・キャリアカンパニー長)
「大切なのは今」
多田 黒川光博社長のキャリアは当時の富士銀行から始まり、20代半ばごろに虎屋に入社されたそうですね。
黒川 はい。父からは「虎屋に入るまでは好きなことをやってよい」と言われたのですが、そこで初めて「あぁ、そうか。自分はいつの日か虎屋を継ぐのだな」と感じました。そこで、せっかくなら継いでから役立つ仕事をしようと、大学卒業後のわずかな期間でしたが当時の富士銀行に入行しました。我々が就職した1960年代頃は、銀行は学びの点からいっても非常に良い職場の代表でしたから。後々、同業者に聞いてみても銀行出身者が意外と多いですね。
多田 虎屋に入社されてからは、すぐ経営に携わったのですか。
黒川 いえ、自分から申し出て5年程は工場勤務でした。何より現場が最も大切だと思っていましたし、20代半ばでしたから体力的な面からも今だろうと。
その後に副社長になり、父が亡くなってから1991年に社長になりました。とはいえ、経営面は見ていましたし、社長になってからも仕事に変化はありませんでしたが、大きく変わったのは、社員、お取引先、お客様への責任感と覚悟でした。
多田 就任されて25年以上なのですね。御社はこの25年でも変化し続けているという印象があります。社長が経営にあたって大切にしていること、あるいは理念の中心にあるものは何でしょうか?
黒川 虎屋にはたしかに長い歴史があり、その歴史が後ろ盾になってくれている面もあります。しかし、「今までと同じこと」をそのままやっているから今が成り立っているとは思えません。
私が社長になった時も、あるいは10年前も、常に言い続けていたのは「大切なのは今」という言葉です。時代にはいつでも変化があります。だからこそ、その時々の今という時を大切に考えなくてはなりません。
ある時までは「伝統は革新の連続である」と言っていましたが、いつからか「いや、待てよ。今やらなければいけないことを、精一杯やっているだけに過ぎないのでは」と思うようになってから、「革新」なんてたいそうな言葉は使わなくなりました。